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Méhul

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 昨日聴いたフランスのCDの2曲目「出発の歌」を作曲した、エティエンヌ=ニコラ・メユール(1763-1817)の交響曲第1番とを聴いてみました。ベートーヴェンとちょっと似てる。かも。それも「運命」あたり。うっそ〜! ネットで調べたら同じ印象を持った方々のことばがあちこちに。ドイツでも好感度大だったメユールさんらしいです。 特に第4楽章には「運命」を思わせる部分が。フランス嫌いの方もこれはいいって言ってくれるかも。 知らんけど。笑

Un paquet d'adrénaline et de patriotisme!

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 フランス革命と共和国軍を讃える愛国的音楽集 これを聴くと瞬間的に誰でもフランス人になれます。特にB型の方々! むかし(35歳)にボルドーで約1年生活した経験でいいますと、頑固なほど個人主義でプライド高いフランスの方々ですが、恋をしていなかったり、おとなしかったら病人と間違われるし、グルメ、やたら喋りまくり。議論が好きでラテン系随一の理論派民族。そんなフランス人(例外もあります)ですが、愛国主義をくすぐるとこんな明るい、力強い楽曲集ができあがります。 フランス共和国親衛隊軍楽隊を母体にシンフォニーオーケストラ編成に拡大、ヴェルサイユ王室歌劇場合唱団にフランス軍合唱団が加わると品の良さなんて関係なく、圧倒される人生肯定的世界観。みごとにがん患者であることを忘れました。 自分はB型でよかった。笑 【曲目】 エティエンヌ=ニコラ・メユール(1763-1817): 1. 序曲 ~歌劇《青年アンリの狩》 (1797) 2. 門出の歌 (1794) エクトル・ベルリオーズ(1803-1869): 3. 王の狩と嵐 ~歌劇《トロイアの人々》 (1890) シャルル・グノー(1818-1893): 4. 兵士たちの合唱「不滅の栄光よ」 ~歌劇《ファウスト》 (1859) ベルリオーズ: 5. 兵士たちと学生たちの合唱 ~劇的物語《ファウストの劫罰》 (1846) ジョルジュ・ビゼー(1838-1875): 6. 序曲 ~歌劇《カルメン》 (1875) 7. 町の子供たちの合唱「兵隊さんたちといっしょに」 ~歌劇《カルメン》 8. 行進曲と合唱「やって来た!クアドリーリャだ!」 ~歌劇《カルメン》 グノー: 9. スペイン風舞曲 ~歌劇《ザモラの貢ぎ物》 (1881) ビゼー: 10. フィナーレ(ファランドール) ~歌劇《アルルの女》 (1872) ロベール・プランケット(1848-1903): 11. サンブル・エ・ミューズ連隊行進曲 (1870) クロード=ジョゼフ・ルジェ・ド・リール(1760-1836)/ベルリオーズ編曲: 12. ラ・マルセイエーズ (1830)

1970s to 1980s. The golden age of analog recording, I suppose.

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 私が生まれた1956年。アナログ録音時代のモノーラルからステレオ録音への変革の頃。アメリカではブルーノ・ワルター晩年のステレオ録音が残っているのはその証拠でしょうか。ドイツでもディ・ドイチェ・グラモフォーンやデッカなどの著名なレーベルが名指揮者によるオーケストラなどの数々の輝かしいステレオ録音が残っています。 クラシックの演奏自体、戦後から25年以上が経過して過去の名曲を次々とステレオ録音してLPで発売。帝王と呼ばれたカラヤンはその頂点に君臨した大指揮者です。カラヤンの最新ステレオ録音はクラシックのヒットチャートに必ず登場したものでした。 そのアナログ録音ですが、その頂点は1970年代からの約10年だと思っています。1970年代の初期にはDENONがPCM方式で録音を開始。個人的には硬い鮮明な音って思いましたが、現在はデジタルのハイレゾ再生技術の向上により鮮度感は失わず、録音当時スタジオでしか聴けなかったハイクオリティの音源が個人でどこでも聴けるのはとても幸せなことだと思います。 で、1970年代以降のDGやDECCAのアナログ録音が真新しいリマスタリングでまるで4K化したような鮮度で聴けるのはLPを聴くのとはまた異なるアプローチだとは思いますが、音楽に浸るいい方法だと思います。何より、オーディオ的に神経質にならず、純粋に音楽に浸れる気がします。CDでも十分ですが、SACD化して発売されている音源もあり、なつかしい青春時代のサウンドをここまでいい音で聴いてその音楽世界の中で癒されて、自分ががん患者であることをすっかり忘れてます。 でも、やはりまたLPをターンテーブルに乗せて、カートリッジを選び、針圧の調整をしてレコード盤をクリーナーで拭き取って、アンプのボリウムを下げ、カートリッジの針がレコードの溝をとらえてからボリウムをあげる。この一連の儀式はまたやってみたいって思うんですよねぇ。

Symphony No. 4 is amazing!

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  ジャケットデザインは異なるけれど同じ演奏のCDです。 2021年5月16日、親友が彼のブログで語ったホグウッドのベートーヴェン交響曲第4番。 4番すごっ! まったく同感。時代を先取りしすぎたかも。ティンパニの強いアタック。かなりテンションの張った演奏はホグウッドのモーツァルトとはまったく異なる世界。 シンプルにフルレンジで全域を鳴らし、ツィーターは1μFのコンデンサーで低域をカット。この組み合わせで聴くホグウッドのベートーヴェン交響曲第4番は作曲者本人もびっくりするだろうと思う。きりりと引き締まっている。ベートーヴェンが当時もたらした従来と異なるまったく新しい音楽の世界にびっくりしていたであろう演奏者達の戸惑いと驚き。それが伝わってくる。そういう演奏ってなかなかいまの時代聴けるものではないのだ。 そう思う。

Speakers driven by monaural amplifiers sound better or not?

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 ほぼ年金暮らしの私ですから、オーディオシステムは安価でできうるベストを狙うっていう、ハイエンドの真逆をいく方法しかできません。つまり、まったくおすすめはしないんです。 アンプは1台3万円!の業務用ステレオパワーアンプを4台使用。1台のアンプにはたった1つのスピーカーを接続します。つまり、ステレオパワーアンプの右チャンネルのみ使って上段のアンプは左側フルレンジを、下段のアンプは右側のフルレンジを接続しています。このメリットはステレオアンプなんだけど、モノラルアンプとして使うことで、左右の電源で片方のアンプのみを使いますので、安定した再生音を得られることと、チャンネルセパレーションは完璧というメリットがあります。 4台所有する理由は上の2台がツィーター用。下の2台がフルレンジ用です。4台揃えても12万円と安い。パワーアンプなんですが、ボリウムが付いてますのでプリアンプが不要になります。つまり、パワーアンプにはベーリンガー社のスピーカーマネジメントシステムからXLRのバランス接続で常に定格出力がインプットされており、音量はパワーアンプのボリウムで絞るだけです。というか、大出力のパワーアンプにプリアンプでボリウム絞った入力でコントロールして鳴らすのではなく小出力パワーアンプのボリウムをほぼ真ん中あたりまで上げて使う方式です。どっちがいいかではなく自分が好むやり方をやってるだけです。 添付写真ではフルレンジユニットを鳴らすだけの設定ですので下の2台のアンプのそれぞれ右側ボリウムが12時あたりまで上がっています。 要するに、ステレオアンプ1台に片側1個のスピーカーを接続して鳴らす。これが我が家の基本形となっております。

Annie Fischer, a great pianist born in Hungary.

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 昨日、68歳になりました。昨年亡くなった親友と同い年に追いつきました。 昨年は振り返ると「がん」以外のまともな時間はほとんどなく、病の床に伏してちらっと三途の川を見たような気がして、なぜかこれまでの我がオーディオについてあれこれと書き散らしてブログに載せ、ある意味、親友への別れのメッセージにしたかった。それがピークだったような気がします。 今年は芸術を慈しむ感覚が今まで以上に芽生え、オーディオとは向き合っていますが、いじるのは最低限にして音楽そのものに向き合いたいって真面目に思っています。 今日は我が人生でお初に拝聴するハンガリー出身ピアニスト、アニー・フィッシャーさんが1970年代から1980年代にBBCに残したベートーヴェンのピアノソナタ集を聴いてその深い音楽への洞察力に鳥肌が立っております。 食道がんの手術後生存率などの情報に振り回されない、自分の軸足基準で時を刻む生活を続けていきたい。そう思っています。

Beethoven: Tripelkonzert für Klavier, Violine und Cello in C-Dur, Op.56

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 三重協奏曲って言う方がわかりやすい、ベートーヴェンのピアノ、ヴァイオリンとチェロのための三重協奏曲 作品56は今回、このフリッチャイ指揮ベルリン交響楽団とゲザ・アンダ(ピアノ)、ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリン)、ピエール・フルニエ(チェロ)の豪華な組み合わせで人生で初めて耳にすることになりました。 交響曲第3番と同じ時期の作曲と解説で見ましたが、ベートーヴェンがリラックスしているようなでも、凡庸なところはまったくなく、幸せな気持ちになるって言う点では珍しい部類のベートーヴェンだと感じます。 ドイツのオリジナルアナログテープから2019年にリマスタリングしているためでしょうか、とても1960年のステレオ録音とは思えないゴージャスな音で驚いております。 この演奏だけを聴いても、フェレンツ・フリッチャイというハンガリー出身の若くして亡くなった指揮者の類まれなる才能に感謝です。

Christpher Hogwood Mozart The Symphonies

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 ホグウッドによるモーツァルトの交響曲全集。見つけるのに苦労しましたが、ネットで発見し購入。先ほど届きました。 1980年代の録音ですが、切れ味見事で爽快な余韻が残ります。モーツァルトはほかの演奏者たちの録音もとても素晴らしいんですが、ホグウッドの甘さの少ないキリッとした解釈と演奏がモーツァルト、特に初期の交響曲にはとても似つかわしいって感じています。自宅で再生する際のDAC処理もハイレゾにして出力回路に真空管を使うとこの清々しさに磨きがかかります。スピーカーも親友がやっていた「コンデンサー1個のみで低域カットした状態でツィーターを駆動する」方法はコンデンサーのクオリティにもよりますが、濁りのないとても親友好みの音にすることができます。 何につけても、親友と一緒に聴きたかった。そういう演奏です。

Christopher Hogwood (continued)

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 ホグウッドの演奏に触れたのはヘンデルのメサイアだけかと思いきや、ふと思い出したことがある。1985年頃だったか、風邪をひいて自宅で寝込んだことがあった。親友が何を思ったか、車にロジャースのLS3/5Aとクォードのプリ・パワーアンプ(真空管だったか?)を載せて我が家に持ち込んで「まあ、熱なんか出しちゃって。元気だしてくださいね!」ってホグウッドのモーツァルトの交響曲第38番、39番を鳴らしてお見舞いに来てくれたことを思い出した。風邪ひき病人にこの英国サウンドは妙薬となり、病が癒えたあと、メインのスピーカーがロジャースLS3/5Aに置き換わったというオチまでついた。 あの英国サウンドは親友と私の共通の思い出であり、その代表としてホグウッドの演奏は数ある再会の場でも演奏されてきた。 あのホグウッドのモーツァルト交響曲は手元に40番と41番しかないので、ぜひとも全集盤が欲しい。 なのでネットで捜索中。

Tisztelem a magyar zeneszerzőket és zenészeket.(I respect Hungarian composers and musicians.)

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 ハンガリー系の作曲家や演奏者に親しみというより尊敬の念を禁じ得ません。 CDのネット販売ショップでたまたま見つけたフェレンツ・フリッチャイ(指揮者)の最晩年録音であるモーツァルトを聴いてぐぐっと心を掴まれました。 そういえば、ピアニストではアンドラーシュ・シフもそうですし、ジョージ・セルもハンガリーからアメリカへ亡命していましたし。作曲家ではコダーイ、バルトークも好きでしたし。 今回のフリッチャイはまったくマークしていなかった指揮者でしたが、晩年である1960年頃の録音に今なお鮮明な音響が残っていて、ハイレゾ化した音源が懐かしさを伴いながらも新鮮に耳に響きます。西欧と違う中央ヨーロッパの風景というか、インド・ヨーロッパ語族と異なるハンガリー語の世界観というか。かつてのオーストリア・ハンガリー連合王国の繋がりっていうか。なんとも微妙にアジアに住むわれわれに馴染む感じがします。 しばらくフリッチャイの演奏に耳を集中して傾けたい。そう思っています。

Christopher Hogwood The Academy of Ancient Music

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 親友のブログサイトにけっこう頻繁に顔出ししていた演奏家がクリストファー・ホグウッド。彼はホグウッドの演奏について語るというより、難物CDとして特にベートーヴェンの交響曲集を紹介し、いかに苦労して聴きこなせるようにイコライザーを調整してきたかについてのコメントが多いですが、嫌いな演奏をここまで繰り返し写真付きで登場させることはありえないので、彼はかなりホグウッドの演奏を好んでいたのではないかと思っています。 ベートーヴェン以外ではヘンデルのメサイアが親友との共通の問題としていかに聴きやすく音の調整を行うかについて語り合うことが多かったんですが、私のところにはホグウッドのベートーヴェン交響曲全集がなく、彼のブログを読みつつ、いつかは聴いてみようと思っておりました。 タワレコのサイトでやっと見つけ、いま、取り寄せ中ですが、CDの解説を読むと1983年から1989年にかけて収録されたこの録音は極端にストイックな解釈や演奏はないですが、楽譜には原典版を使う、使用楽器の製造年、メーカー名もチェックする、など当時としては先駆的というか、音楽資料的にも大切なアプローチをしていることが見て取れます。もっと早い時点でこの演奏を聴いて親友とオーディオ論だけでなくクラシックの演奏論などについても話をしておきたかったと思っています。 順不同で全部ではないですが、過去の親友のブログで見つけたホグウッドのベートーヴェンジャケット部分を参考までに。

C'est déjà fini. Quand je sens qu'ils sont lourds, cependant.

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 がんの手術後、かなり外出もできるようになりました。ですが、筋力低下は否定できないです。自分の撮影機材をちらっとみるだけで重そう。カメラの仕様書は性能より質量の項目を先に見る。そうなった時点で終わってます。がんのせいではなく年齢のせい。きっと。 カメラに興味がなくなった人生はつまらない。そう思うので、重たいって感じたのはズームレンズをいま使ってるせいだ。と、機材のせいにする。単焦点レンズならもっとボケ味も美しいし、構図を極めるために動き回ることを厭わないのに、それもせずズームリング回すことでズボラな作業をしてなにかを誤魔化しているせいだ。 あと、何年カメラかかえて走り回れるだろうか。いや、動き回れるだろうか。 そんなことを心配する年齢ではないと思いたい。なので次の機材はフルサイズでなくて、APS-Cでいい。 え、結論はそっちですか。 独り言:iPhone15のカメラ、使えますね。

Viola da Gamba or Cello

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 バッハの無伴奏チェロ組曲は若い頃、その出だしを聴いてみて、これは飽きる。って思った。若い頃は得るエネルギーも壮大なものの方がうれしいから、ソロの楽器が奏でる組曲にはそっぽを向いたんだと思う。 しかし、70歳が見えてくる年代になると、そして、がんという病に悩まされるとこの大人しい渋い音の連なりが曲として脳に染み込んでくる。いいって感じる。 曲の印象からしてバッハ大先生が晩年に作曲したものかと思っていたら、実はケーテン時代って、バッハ大先生が32歳からの数年の結構若い頃の作品と知ってびっくり。 もうひとつ書きたいこと。チェロのための組曲ではあるけれど、ヴィオラ・ダ・ガンバによる演奏CDを手にして楽器の違いによる曲の印象の違いに相当に驚いたということ。 ヴィオール族のヴィオラ・ダ・ガンバとヴァイオリン族のチェロは楽器を支える方法から、弦の数も違うし、フレットの有無もあるし、そもそも弓の持ち方も違う。 ヨー・ヨー・マの若い頃に録音したチェロ版を最近聴いていたんですが、フランスのミリアム・リニョルさんによるヴィオラ・ダ・ガンバ版の演奏を耳にして楽器の音にとても魅せられました。 同一の曲がまったく別の曲かと錯覚したんです。新鮮で、深い。 いずれにせよ大バッハは大先生である。これに尽きるんですが。 辛口シャルドネワインをたとえにしてすみませんが、チェロだとしっかり樽熟成したムルソーを感じるのに対してヴィオラ・ダ・ガンバだとMLFをしないキリッとした酸とミネラルを感じるシャブリ。ま、例えばの話ですが。 まだワイン飲めない時期なので、飲めるようになったら味わいながら聴き比べてみたい。かなり先かも知れませんがね。 ヴィオラ・ダ・ガンバ ヴィオラ・ダ・ガンバを演奏する女性 チェロを演奏する男性

Fred Hersch Silent, Listening

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 フレッド・ハーシュ アメリカのジャズピアノプレイヤー、作曲家。 親友と同じ1955年生まれ。 このECM的なとてもSilent Listening的なタイトルの通りの音の世界。なんといっても孤高としかいいようのない音。ジャンルを超えた、ジャズでもあり、現代クラシックでもあり。でも美しい。ECMからお初のソロアルバム。ジャケットがまた美しい。とってもECM。 調べて驚いた。フレッド・ハーシュはジャズトリオと弦楽四重奏とのコラボなんかもやってる。単なるジャズ演奏者ではない。 親友もきっと「いいね!」っていいそう。 ちょっと深掘りしてみたい。

Last Days Ryūichi Sakamoto

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 2024年4月7日放送NHKスペシャルLast Days 坂本龍一 最期の日々。この番組はショックだった。ご家族もよくこの生々しい映像の公開を許可してくれたと思いました。最後の最後まで音楽にこだわる姿。それに感動。自分もがん患者になってやっと見えてきた部分も多い。 自宅ハイレゾから「千のナイフ」(2016年リマスター版)を聴いています。鋭い、エネルギーに満ちた若さ、音楽が生々しいです。

Reconsidering frequency balance in my main audio system.

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 たまにはオーディオのことも書かないと。笑 自宅のメインシステムは20cmフルレンジに効能率ホーンツィーター2台っていう高域過多のシステムです。どうしても高域が目立ちすぎる傾向です。 そこでこういう変態的システムのバランスを取るにはスピーカーマネジメントっていう名前は仰々しいユニット(市販価格5万円程度)が大活躍しています。このユニットにはゲインコントロールだけでなくクロスオーバー周波数調整、パラメトリックイコライザーやディレイも搭載されており、従来はイコライザー機能のみを使っておりましたが付属している機能は使わないと損だっていうことで設定画面を出して変えては聴き、また変えては聴きを繰り返しています。ディレイ機能はなんとなくですが、スピーカーから3mのリスニングポジションでは使い方次第ですが、違和感が減少するポイントも発見できています。 これらの調整ポイントはデジタル時代の恩恵であり、アナログ全盛時代には調整したいと思っても手段がなかった類の項目です。親友もかつてより述べてますが、機材そのものからはフラットバランスで音が出ていると仮定しても、部屋の特性(広さ、高さ、奥行き、反響具合、機材を置く場所、左右の距離、壁からの距離、床からの反射などなど)によって周波数特性はぐにゃぐにゃになってるのは間違いありませんので、いろいろいじっては聴いてを繰り返し、自分と居心地の良い音楽の関係を時間をかけて築いていくしかないんだと思っております。

Returning to the origins of his sound.

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 親友がこの世を去ってもう半年。同時に寂しさが半年継続しているのも事実です。 SoundFrailに、「わたしにとって理想の音は、雑味のない無垢で清潔な透明感、濃密な色彩感がありながら暑苦しくなく、サラッとした爽快感がある響きだ。」(2021年3月13日)との記述を見つけました。 最晩年の彼が使用していたYAMAHAの機材群はまさにこの表現に通じていると個人的に感じています。最晩年に限らず、彼の最愛のスピーカーJBLの4343を駆使する方法にさえ、この哲学が貫かれていると思っています。 さらに40年以上前に遡ると、まだGEQやPEQなどを使い音響調整に本腰を入れる直前にはMarkLevinson SL6 左右完全セパレートで電源部まで別というそれこそ入力とボリウム以外何も付いていないシンプルなシルバーパネルのプリアンプが彼の哲学の原点という気がしています。内部の配線のみならず、銀のケーブルがもたらす誘惑に満ち溢れた濃密なようで清潔な透明感あふれるサウンドにもその後の手本となったことが手に取れる、そういう機材でした。 おそらく、お互いの好みの響きの傾向、気になる周波数や濁りなどがことごとく私も似ていたのが功を奏してこの長い付き合いに至ったのは間違いないですが、違う部分、ことごとく気に入るまで追い詰める根気強さは私にはなく、お互い微妙に違うからこそ長くいい関係を保つことに繋がったのかも。って思います。 もう一緒にお互いのこれからのオーディオを語りあうことがなく、過去にひたるしかない寂しさはかなり辛いものがあります。

Once you get used to listen to it.

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 2018年頃からハイレゾのデータをダウンロードしてUSBのDACを通して楽しむ方法を始めています。最初はiFi社のエントリークラスのDACからスタートして、いまは同一会社の高級品を使うまでに至りました。 昨年10月、抗がん治療で3回の入退院を繰り返した際、ハイレゾを入院先でも楽しみたいっていうことでiFi社のDAC付きポータブルアンプ(イヤホン再生用)を買って使ってみました。 イヤホンだからでしょうか、DACもかなり満足度が高くなっていてこれで充分かも。って。 2月上旬に退院してもう2ヶ月ほど。そのポータブルDACを思い出してメイン装置のDACと交代して我が家のオーディオ装置に使ってみてちょっと驚いています。 いいんじゃない?慣れてしまえばどっちで鳴らしているかわかんないよね? 1ヶ月はこの設定にして存分に耳を慣らして、またDACを交代したときにどう感じるか。 怖い答えは:どっちも音は変わらないよね!

Les gens ne regardent pas les blogs qu'ils écrivent. Est-ce vrai ou pas ?

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People don't look at the blogs they write. Is this true or not? 自分が書いたブログはみんな見ないってほんと? 個人的に、自分のブログはお粗末って考えていて、それを記録として残そうなんて考えたことはないんです。新しくサイトを作ってスタートしたら前のブログサイトは消そうとしますが、消せない場合もあり、そういう場合は無視してます。書いたら書いたとたんにその内容はとりあえず終わり。自分に自信がないからそうなるんですけど。自分が書いたブログ読み返して、いいなっていうのはまずないですね。他の方々のブログは読み返すことがおおいですが、どうしてでしょうかね。 音楽や芸術はさすがにプロが残した作品には何回もリピートして接しますね。味があるんで、毎回異なる印象を受けます。 ひさびさに聴くキース・ジャレットのスタンダーズ。1と2。こんなに印象違ったんですね。また何回も聴きかえすことになりそうです。

L'œuvre de Rameau, oubliée depuis environ 200 ans.

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 フランスバロックの偉大な作曲家ジャン・フィリップ・ラモー(1683-1764)さんです。え、知らん。ですよね。の晩年の大作オペラ「レ・ボレアード」。 作曲時の不幸というか。ど・えらい作品であるにもかかわらず、初演がキャンセルされ、劇場も火災にあい、ラモーさんも翌年に逝去。図書館に楽譜が200年ちょっと保存され忘れ去られてたとか。 約200年後の1964年にコンサート形式でラモー没後200年記念で放送されるまで眠ってたんですね。 内容はギリシア神話をもとに、ある女王が身分違いの恋を初志貫徹して最後に勝ち取るおはなし。 曲的にはもうバロックを過ぎて古典派の時代の作品で、オーケストラの編成も時代にそぐわず大きくて、聴いてびっくりの劇的な表現なんですね。 ジャケットも美しいというか、これはジャケ買いしたんですが、ハイレゾDACを通して聴くともうCDクオリティで十分じゃないかって思うんですね。 フランスを中心にしたバロック作品はこのシャトー・ド・ヴェルサイユ レーベルは演奏のクオリティ、録音のクオリティ両方で満足できるレベルであると勝手に思っております。

Can't eat authentic sausages so far.

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 東京も3月の終わりですが、気温が!26℃にも上がります。こうなるとホットドッグスタンドですよね。麻布十番の有名なN.W.D.さんの1Fにあるこのホットドッグスタンドはもう有名ですが、ソーセージがさすがお肉屋さん、本格的なんです。うまい。ビールもあるし。 でも、残念ですが、食道がん手術を終えた身にとっては、この本格的ソーセージを咀嚼できない。噛めない。おまけにドクターストップでビールもだめ。つらいところです。

Maurizio Pollini, Dies at 82...

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 ポリーニが亡くなってしまいました。思えば、大学生の頃、ショパンのポロネーズ集をLPで買い求め、何回も聴いたことか。これが個人的なポリーニとの出会いでした。 バルトークのピアノ協奏曲のLP、これもまた鳥肌が立つ経験をしました。ピアノを打楽器のようにたたきつけポリーニの音が聳り立つ。アバドとポリーニの情熱とシカゴシンフォニーオーケストラの圧倒的パワーが相まってこの演奏以外バルトークのピアノコンチェルトは聴けない時期が長く続いたほど。感動の極みとはこのことでした。 若きブラームスのピアノコンチェルト第1番、ベーム ウィーンフィルの重厚かつ丁寧な曲の展開にピアノが対等の存在としてのスケールを示す演奏も、大好きです。 その、ポリーニがこの世を去ってしまいました。冥福を祈ります。 そのポリーニの演奏をハイレゾ音源で聴き直しております。

L'Oiseau-Lyre (DECCA)

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 親友も私も古楽系レーベルの中で音像のキレがよく鮮度感抜群のオワゾリールレーベルのLPやCDは一緒によく聴いておりました。 オワゾリールとは、フランス語で、(オーストラリアの)コトドリ属の鳥のこと。古楽復興に寄与したレーベルとして1932年にパリでスタート。1973年からは英国DECCAの傘下で古楽専門レーベルとして発展してきました。Christopher Hogwood Academy of Ancient Musicはバロックから現代に至る幅広いジャンルの演奏団体として名を馳せています。 そのオワゾリールレーベルを1枚、今回は新譜(といっても録音は1982年ですが)としてタワーレコードから購入。 最初の出だしから親友が好んだ音色、つまり10kHzあたりから上の解像度が高く、トランジェントの良い音で鮮明なキレと余韻が特徴って、親友が聞いたら「それだけが好きなわけじゃあないんですよ、わかってます?」と言われそうですが。笑 でも、そういう透明で見通しの良さを彼は大切に思っていて、それを具体的に目にするような音がこのオワゾリールレーベルにも感じます。 この2枚組のCDの2枚目、8番目の曲に注目したいです。曲名はなんと「膀胱結石手術図」って。1725年マラン・マレという作曲家の作品ですが、なんとご本人の体験談から作曲に至ったというお話。まだ麻酔がなかった時代です。手術は痛すぎて声も出なかったらしいですが。 完全麻酔で食道がんを手術した自分には恐ろしい世界ですが、時代背景も異なりますし、その想像を絶する痛みは曲を聴いてみるしかありません。 なんか、突き放すようでマラン・マレさんには申し訳ありませんね。アヤン・マレ?っていう感じでしょうかね。失礼しました。

Szell and Walter Stereo Recordings in USA.

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 久しぶりにオーディオ装置の再生イコライザー設定を1950年代から1960年代のアメリカCBSで録音されたオーケストラ用に大幅に設定しなおしてじっくりとセル・クリーヴランドのワーグナーとワルター・コロンビアのシューベルトを聴き込みました。 がんの手術後2ヶ月っていう時間の経過を振り返りつつ、よくまあここまで回復できてきているってしみじみ感傷に浸りつつ。 イコライザーの調整をしつつ、また耳を傾けて調整してこれでいいっていうポジションが決まるとどことなく精神の統一ができた感じがして、ふと、真横に親友の存在を感じつつの音楽鑑賞になります。 セルのワーグナーは圧巻。まったく整然と大オーケストラが鳴り響く雄大さは偉大だと思うんです。ワルターのシューベルトは先日購入したベーム・ベルリンフィルの演奏との比較にどうしてもなってしまうんですが、晩年のワルターは全く老齢感がなく、やさしくおおらかなテンポで、そして劇的な瞬間にですらなお新鮮な解釈を感じる気がします。こんなにゆっくりのテンポのときですら全体の構成が寸分も乱れない凄み。ちょっと鳥肌が立ちました。 あと、何年こういう幸せを音楽に見出すだろうなんて、まだまだ先のことですが、この一音、一音の刹那に感じる自分の立ち位置というかポジショニングっていうか。それを想います。