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3月, 2023の投稿を表示しています

Sprout Café in Roppongi

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3月終わりの金曜日。柚香さんとお花見ランチを六本木のカフェで。 平日のランチは11時ちょっと過ぎならそれほどの混雑はなく落ち着いてお花見もできます。

The latest high end CD players have USB port, too.

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 MP3の再生はほぼUSBポートからUSB DACへのインプット経由が多いと思われます。 最近販売される高級CDプレーヤーにもコアキシャルやオプティカルのほかにUSBインプットがあり、CDプレーヤー内蔵DACでMP3のアナログ変換が可能です。 ならば、MP3を安価なUSB DACだけでなくハイエンドのCDプレーヤー内蔵DACで再生してみることを私ならやってみたい。かなりいい音がでるんじゃないか? お金ないからハイエンドCDプレーヤー買えないけれど....

Reflection caused by speakers.

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 親友のブログで見た緩衝材の件。さもありなん、と思います。 JBLがメインだった頃、キャビネットの上はスペースがふんだんにあったので2つのツィーターを並べ、さらにその間に緩衝材としてぬいぐるみを置いていました。 今、小さなスピーカーに替わってそれほどのスペースがなくなりましたが、かつてのようにただ音の鳴り方の一部を考えて2つのツィーターを並べていました。でも、結局一つでいいっていう結論に至った最大の理由は2つのツィーターがそれぞれほぼ同じ音域を出していたことによる音の干渉があり、ツィーターの間にゆいぐるみを置くスペースがなく、結果、音を汚していたのではないかと思い至りました。 2つのスピーカーがすぐ近くで同じ音域を出す場合など、特に干渉が大きくなるのではないかという仮説を考えております。解消するには親友がやっているようにフェルトを貼ってお互いの干渉を極力減少させること。なるほど。

Eva Cassidy

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 皮膚ガンを患い、わずか33歳で他界したエヴァ・キャシディ(1963年2月2日〜1996年11月2日)。彼女の歌声はよく「奇跡の歌声」と言われ、澄み切った歌声だけでなく力強い生命力を感じていつの間にか引き込まれてしまう。 JBLで聴いていたときは彼女の声に「独特の迫力」がつき、それが好きだった。と、後で知ったのだった。 新しいスピーカーになって彼女の声を聴いた。なめらかで清らかなのに、その「独特の迫力」が感じられない。その違いはJBLサウンドそのものにあった。あの15インチ口径のJBL E130とJBL 2405Hの組み合わせこそが為した技であった。 こうなったらあの世界をスピーカーの位置からスピーカーマネジメントシステムを駆使することまでなんでもしてなんとかその片鱗だけでも出せないものか。 イコライジングの細かい設定をしばらく別の聴き慣れた音源でさんざんいじって再度このアルバムを聴いていたとき、ある瞬間に柚香さんの目が輝いた。「あ、エヴァだ!」 独特の迫力をほんのり出しつつ、独特の透明感も増した。そう柚香さんと二人で話し合った。 やっと新しいシステムで納得のいくヴォーカルを手に入れた。そう思った。 このロンドン・シンフォニー・オーケストラとのコラボレーションアルバムは既発の音源からオリジナルヴォーカルを分離。その声にあのウィリアム・ロスが新しいオーケストラアレンジメントを加えてスケール感の大きなサウンドになった。 AIというか機械学習技術にはすごみを感じる。これは大切なアルバムになった。シンディ・ローパーのアルバムにあるTime After Timeをエヴァ・キャシディが歌うとまったく異なる世界が見えてくる。

Stravaganze Consonanti no.2

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このアルバムについては前にも書いた。  ルネサンス音楽をECM的に料理するとこうなる。 最初のパーセルの出だしはARCHIV的というかDeutsche Harmonia Mundi的な生真面目で折り目正しい感じ。ちょっとするとオワゾリール的艶のある要素がスポイトで滴下される感じ。 グレゴリオ・パニワグア、アトリウムムジケーの世界を鮮明にして自由度を増した感触。 曲の解釈がアカデミックであり、音の捉え方は正統派のECMである。クラシックなのかジャズなのかだんだん垣根が見えなくなってくるおもしろさ。 自宅のスピーカーをどんどん手前に引き出して聴いている。

How do you like your tea? With milk? Or not.

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 父方の爺さんが小樽の輸入商社勤務で羽振りがよかった時期もあり、(会社倒産でその後は貧乏生活を舐め尽くしたそうです)両親はポットで紅茶を淹れコンデンスミルクを入れて飲んでいた。その影響が大きく、自分で淹れて飲むのはもっぱら産地別のリーフティー。年間で紅茶の茶葉は合計4kgぐらいは購入してます。 2018年のゴールデンウィークに南インドの紅茶の産地、ニルギリを訪問。産地で試飲するとこれほど違うとワインの時と同様の印象を持ちました。北と南のインドは生活スタイルもこれほど違うと、紅茶以外も体験学習。ビリヤニっていうカレーの炊き込みご飯も好きになりました。 英国で発達した紅茶の文化でミルクを入れて飲みやすくするんですが、ミルクを先に入れるか、後入れにするかで論争が持ち上がったという話もあります。個人的には先に入れる方が好みです。まろやかさで秀でています。 年々紅茶を飲む人口が減少しつつあります。産地のひとつスリ・ランカ(かつてのセイロン)は経済破綻で高品質の茶畑を手放す状態も見られます。 生きている間は品質の良い紅茶を手に入れたいです。

C'est l'immeuble où j'habitais à Bordeaux.

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 ボルドーのど真ん中。カンコンス広場のすぐ脇にアレー・ドルレアンっていう通りがあって、そこに間借りしていたレジデンスが今もある。写真では女性が中に入ろうとしている建物。ここでコンシエルジュのマダムにフランスで生活する知恵を授かった。また見に行きたい。 それにしてもグーグルには驚かされるね。

The place where I lived.

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 グーグルはすごい。40年以上前に借りて住んでいたニューヨークの一軒家がまだそのまま存在している。右の白いドアの1階部分。そこでS-955やMcIntoshを大音量で鳴らしていた。 人生最高の瞬間だった。ような気がする。

Böhm und Berlinerphilharmoniker

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 1950年代が終わる頃のベーム、ベルリンフィルが圧倒的にブラームスだ。 第3楽章から第4楽章を続けて聴くことが多い。しびれまくり。いい。 この時代、ベームはベルリンフィルを指揮してベートーヴェンの交響曲第7番も録音している。これがまた圧倒的ベルリン節でベームがオーケストラを引っ張りまくっている。フィナーレはその圧巻で、これは生で聴きたかったって思いました。あ、ブラームスのお話でしたよね。すみません。

Bruckner and Thielemann.

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 2000年頃、NHKホールでティーレマンのブルックナー交響曲第5番の演奏を生で聴いた。 ブルックナーの5番といえば、私にはルドルフ・ケンぺ、ミュンヒェンフィルの1976年頃の演奏が第一に来る。分厚いけれど神々しい自然な流れ。宇宙が鳴動するって宇野功芳さんは書いた。それが自分の部屋で響いた。 で、ティーレマン。この指揮者は素晴らしい。と思っている。だからティーレマンの最新のブルックナーをことごとくネットからダウンロードして聴いている。2,3,4,5以外に最後の8,9番をゲットした。 ブルックナーの交響曲は第8番にとどめを指す。それには大賛成するけれど。けれど、なんですよね。65歳を過ぎてからは最後の交響曲第9番に心をえぐられる。未完成だけれどアダージョの第3楽章でもう完結している。ラストこそ宇宙の鳴動だとそう思うようになった。 そう思うきっかけは高校時代に最初に聴いたブルーノ・ワルター コロンビア交響楽団によるこの曲だった。これはいつ聴いても涙がこぼれる。

Bartók Béla Viktor János No.3

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 で、バルトーク。 オーケストラのための協奏曲はやはりブレーズの演奏がいい。最初のニューヨークフィルのものもいいけれど、音の良さではドイツグラモフォーンのこれ。いい画像がなかったけれど。 でもいいものはいい。ブレーズはアジアの雰囲気をうまく再現できる。この感覚はマーラー、それも大地の歌のような飄々とした部分に生かされている。そう感じる。

Bartók Béla Viktor János No.2

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 ECM new seriesでめちゃめちゃ感動したアルバム。 バルトークのビオラ協奏曲。めだたないビオラにこれでもかっていう焦点があたる。バイオリンだとこういう渋さは描ききれないだろう。クールな曲調はビオラの低域を活かし切りこの世のものとも思えぬ静けさの中の爆発的音響をあらわにする。 で、このアルバムの最後に突然Beethoven : Symphony No.5 in C Minor, Op.67が忽然と現れる。 ECM new series で聴くベートーヴェンの交響曲第5番。小編成で楽器ごとの動きが明快。ベートーヴェンはこれを聴かせたかったのか。って感じる演奏。新しい解釈だけに速い部分はめちゃくちゃ速い。だけど、これは作曲者に聴いてほしい。そう思った。 この繊細かつ動きのいいベートーヴェン。20cmクラスのフルレンジユニットで聴いて欲しい。なぜなら大きいユニットでこの楽器と楽器の間のECM的空気感は感じにくいと思うから。清潔かつ音の分離の良いユニットでなるべく品位高く清潔な環境でこの世界を再現してほしい。そう思う。 ちょっと、バルトークからそれてしまった。すみません。

Bartók Béla Viktor János

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 バルトークの話は長くなる。 その1。 高校2年の下宿で人生初めてバルトークを聴いた。 ピエール・ブレーズ指揮ニューヨークフィルの4チャネル録音によるオーケストラのための協奏曲。そう、この曲にしびれた。 アジアっぽさもある。マーラーのような透明さもある。そして上空から俯瞰するような冷静というか冷徹な視線。これが最初受けたバルトークのすべて。 交響曲は書いてない。 ブレーズとハンガリーの接点を調べてみた。ハンガリー出身の大指揮者にジョージ・セルがいる。カラヤンが唯一「マエストロ!」と尊敬の眼差しを向け、セルが「ヘルベルト!」とカラヤンをファーストネームで呼ぶ。このジョージ・セルが認めた指揮者がブレーズ。 ブレーズがバルトークを演奏する。いいじゃないか。

The 10th anniversary.

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 4月2日。10年めの結婚記念日になります。柚香さんは私には理想の存在。これはつくづくありがたいことだと思います。 2006年6月に最初のデート。通っていたフレンチビストロのマダムが紹介してくれました。それから6年放置しましたが、彼女は忘れてなかった。 2回めのデートを2012年の年末に。そして2013年4月2日、婚姻届を区役所に提出したのでした。 ありがとう。これからもよろしくお願いいたします!

MP3 is much better.

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 CDプレーヤーからの再生よりMP3の方が音が断然いい。 これはわかる。MP3はダウンロードの段階でもとのデジタルデータのもつエラーが少ない。 CDはどこが製造したのか。が問われる。CDのいいところはエラーの修正技術の素晴らしさだと思う。データが壊れていてもそれは修正されてわからない。 CD自体がピットのエラーだらけでも音はちゃんと出る。 MP3はダウンロードの段階でエラーは少ない。そう思う。エラーが少ない方が音がいい。 CDからのリッピングよりMP3で直接ネットからダウンロードする方がよほど音がいい。 そう思う。 うちのシステムは壁から離してどんどん音の無理のなさが際立ってくる。 でかいだけではこういう良さはなかった。 Camera: SONY α1 Lens: ZEISS Batis 2/40 CF

Roppongi Hills 10:00 p.m.

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 Roppongi Hills まだ夜10:00なのに。この人の少なさは平和なのか新しい戦前なのか。 かつて親友とカメラ片手に夜の原宿でショーウィンドウを片っ端から撮影したことを思い出した。人も多く、エネルギーが溢れかえっていた。 このスタティックさは、なんとなく漠然とした不安を感じる。 Camera: SONY α1 Lens: ZEISS Batis 2/40CF

FOSTEX has it's own music world.

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  FOSTEXが破格の値段で販売しているこのBK225WB2は見た目の大きさの割に奥行きがあり、容積は28Lもある。この箱は上出来だ! このように奥行きがたっぷりあること。これがバスレフに必須の項目だと個人的には思っている。 この箱をもう1ペア用意して同社のFE206NV2を装着。サイズがぴったりなのでちょうどいい。これに同じく手持ちだけれど、同社のホーンツィーター T900Aを乗せてどう音の世界が違うかを楽しむのもいいかなと思う。コーン紙が明るいベージュなので金色のT900Aを乗せても違和感ないだろう。 なんて、今はしたくもないけれど。

Ralph Towner plays not only guitar but piano.

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 ECMから出ているRalph Towner の最新ソロアルバム。83歳とは思えない。というか若い頃より音の純度が上がっていると感じる。 PIONEER S-955を導入した1981年、クラシック以外によく聴き始めたのがECMレーベルのジャズで、ラルフ・タウナーはその代表格。グループのOregonもECMで初めて聴いた。 エッジのメリハリはS-955のリボンツィーターだけではでない。あの複雑な構造のスコーカーとのペアでこそ出てくる音だった。ウーハーの締りのなさがちょっと不満だったがまだグラフィックイコライザーすら使っていなかった頃だったが、あの鮮明さは忘れない。 その高域でもりもりとパワフルで、遠くから立ち上がりの鋭い高域を眼前に展開してくれるのがJBL 2405である。この存在は圧倒的で、リボンツィーターの鮮度感はちょっと出にくいけれどもう何を聴いても納得のサウンドなのである。 1999年か2000年頃、広尾で親友が鳴らしたJBL 130& 2405を聴いた。飲み会を途中で中座して彼の部屋に地下鉄乗り継いで行った。2405はボックスの上にガムテープで貼られた状態だったけれど、「ツィーターはこれだ!」口をポカンとあけて聴いていたことは覚えている。

Just changed regular lens from SIGMA 35mm to ZEISS 40mm.

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 個人的な好みでいうとちょっとクッキリ系のSIGMAより中身重視系というかしっとり系のZEISSがいい。 なので、レンズを買い替えた。お値段3倍だがそれだけのことはある。もっとメインスピーカーをかっこよく撮りたいし。(笑)

Four amplifiers are needed for four speakers.

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 耳に近い設定でスピーカーを聴く。そうすると、一つのステレオアンプをモノラルアンプとして使うことが最高の純度をもたらすことに気がついたんです。 フルレンジユニット2つ、ツィーター2つ。普通の設定なら一つのアンプに左右のフルレンジをつなぎ、ツィーターはもう一台のアンプの左右に繋ぐ。これあたりまえ。 でも何回も同じソースをアンプ設定を変更して何回も聴く。これを繰り返した結果、たどり着いたんです。 ステレオアンプ1台をたとえば左チャンネルだけのフルレンジを鳴らす。右チャンネルはもう一つ別のステレオアンプを使う。 ツィーターも同様の設定で使う。つまり4つのスピーカーを別々のアンプを用意して鳴らすということ。 フルレンジの低域は左右別々のアンプが電源のゆとりもあって濁りが少ない音になる。これはやってみて想定内のお話。 びっくりしたのはツィーター。ツィーターはほとんどパワーを消費しないので一つのアンプで十分いい音がするだろう。けれど、アンプがせっかく4台あるんだからツィーターも左右で別々のアンプで鳴らしてみたらどうなんだ? で、やってみたんですが、左右別々に同じパワーアンプを4台使うと濁りのない、奥行きについてもベストの澄み切った音になる。これを知ってしまうともう元には戻れない。 我が家はこれでいきます。4つのスピーカーを4台のステレオアンプの片チャンネルで鳴らす。これが最も音の濁りがすくない最良の音である。 我が家ではですが。長年慣れ親しんだソースでも確認しました。