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Faster tunes than slow ones.

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 淡々と点滴が落ちる。2種類の点滴。ひとつは速いもの、もうひとつは遅いもの。 室内に持ち込んで聴くハイレゾの音楽はだんだんというか何かの必然を感じて速い曲の方へ手繰り寄せられる気がしてならない。 親友が小説を書いていたときにトランス系の音楽を飽きずに聴いたのは、そういう何かに追われているような不安な要素が頭に充満していたからなのかもしれない。 いま、これを聴く。Nik Bärtsch  Entendre  entendre アンタンドル フランス語 聞く。聞こえる。どちらかっていうと聞きにいくっていうより聞こえてくる。意識しなくても自然に聞こえてくるようなイメージ。だろうか。 いまの自分が置かれている状況、つまり、点滴台に束縛されて、半ば毒である抗がん剤を一滴、また一滴と、がんの増殖を抑える反面、健康な自分の細胞たちを半殺しにしている。一生を俯瞰するとこんなふうに見えるっていうか、「聞こえる」のだろうか。

Alter Ego.

 アルテ・エゴ。ラテン語。Alter Egoは16世紀に英語にも入り込み、オールター・イーゴーっぽい発音になりますが、親友、別の自分、分身などを意味します。 2回めの抗がん剤治療(点滴)がスタート。この作りがまったく同じ病室(階は違いましたが)窓側のベッドといい、前回のままと言っていい環境にいると自然に、まったく意識しなくても、親友との会話や、彼の笑い声、真面目に語る時の冷静な喋り方を思い出さずにはいられなくなります。こればかりはもう親友ならではのことですから、避けずに真正面からどんとまず受けて、そして、これからの自分のまだある命にこの42年間の蓄積が生かされる、そういう生き方を迫られます。当然のことです。前回より冷静にこの環境下で対処していけそうな気持ちを確保しつづけていこう。そう感じています。

Drip, drip and drip.

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 2回めの抗がん剤治療スタートです。病室の雰囲気は前回と全く同じです。階は違いますが、窓際でベッドの位置は前回とまったく同じです。こういう環境では親友との最後のメールやりとりが思い出され、そうとうに辛いものがあります。

JAZZ HANDS The latest Bob James.

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 ボブ・ジェームズの最新作が発売されていたのでCD(MQA-CD)を購入。 いつものボブ・ジェームズ節というより、fourplay的ポップさに磨きがかかって大人のオーセンティックバータイムのゆとりが感じられます。いま、がん治療中なので飲めないのが残念です。 あまり大きくないブックシェルフタイプのスピーカーを朗々と鳴らすといい感じ。だと思うんです。個人的見解です。

Bonjour Monsieur! Comment ça va ?

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 親友おすすめのブックシェルフ用スタンドは床からおよそ60cmがスピーカーの底辺にくる。もう一台、前から使用中のものは床からおよそ70cmが底辺になるからその差は10cmと書いたとおりですが、たかが10cm、されど10cmで、音楽のもたらす世界観が異なるので驚く。 フルレンジユニットが耳の高さになるのがうちの場合床から60cmで、新しいスタンドがぴったりの高さ。高さが揃うと、そもそも音楽の解像度が違う。きめ細かにピントが合ってくる。見た目も上から目線で見下ろされる感覚から正面に鎮座するスタイルはまとまりがよく、可愛らしい感じさせする。 土曜の朝はフランスのジャン・フィリップ ラモー作曲、ルイ15世のオーケストラ曲集。イコライザーの設定は細かい設定をオフ、フルレンジはツィーターとのクロスオーバーを外し上まで伸び切った設定にする。つまり、フルレンジ+コンデンサー一発でツィーターを繋ぐという親友得意のわざで音を出す。きりりと冴えわたる弦楽器。これが親友サウンドの代表例だ。彼のところではもう二度と聴けないけれど、設定を変更することで彼らしいサウンドを自宅で再現できる。あの白いスピーカーを是非ともここで鳴らして親友サウンドと共生していきたいとつくづく思う。 数曲聴いて、フルレンジとツィーターをクロスオーバーさせ、お互いを6dBで減衰させて、あとは高音域全体になだらかに落とす。やっと我が家のサウンドに。やはり自分のサウンドは落ち着きますね。

Only 10cm difference.

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 前のスタンドと今朝届いたスタンドの違い。たった10cmほど低い位置になっただけなんですが。まず耳の高さにメインのフルレンジが来る高さになり、直接生々しい音が耳に飛び込んでくる。低域の響きかたがぐっと増す。イコライザーで床からのかぶる低音をうまく絞りこむ必要がありそうだ。 そこらへんをまとめることができればジャズ、ロック、クラシックまでカバーする範囲がいままでよりもっと柔軟性を帯びてくるだろうと思う。

One classical concert evening in my living room.

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 親友を偲び、昨晩もクラシックを聴き続けました。 メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ミルシュテイン、アバド・ウィーンフィル。 ベートーヴェン ピアノ協奏曲第1番 バックハウス、ハンス・シュミット・イッセルシュテット ウィーンフィル 音楽を鳴らし始めると、まるで隣に親友がいるような雰囲気になり、彼のいつもの行動のようにイコライザーを調整し、戻って聴いてはイコライザーを調整する、そういうモードに自分がなっている。彼のおかげなのか、共同作業のおかげなのか、我が家のリビングルームはコンサートホールの雰囲気になった。まえのJBLでは音の力が強すぎて後ろに広がる空間までは再現できていなかったことにとことん気がついた。 今日は親友のサイトで推薦していたブックシェルフスピーカー用のスタンドがアマゾンから届きました。さっそく組み立ててメインスピーカーを設置してみました。

Usus est magister optimus. Or, Usus magister est optimus.

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 ウースス エスト マギステル オプティムス。経験は、最良の教師である。 いまなお、SOUNDFRAILを何回も読み直しております。ま、キーボードやトランス系の音楽はちょっとね、って感じる反面、見落としていた事実や私が軽んじていたことへの新たな気づき、など必要最低限に絞られた文面の行間からは宝物の情報が溢れ出てきます。 その一環で。これは誰もが持ってていい、計測する必要があるオーディオ再生に必須のレーザー距離計です。これで測りなおしたところいつも右側のスピーカーが15mm程度左側に比べて奥に設置して聴いていたことが判明。スピーカーを前後に移動したときなど、ちゃんと計り直した方がいいですよ。

Die Musik, die ich gestern zum Abschied gehört habe.

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 昨日は私のオーディオにとって特別な日でした。これほど長い時間、オーディオでクラシック専門に鳴らし続けたことはかつてなかったと言っていいほどでした。 午前10時頃から音楽再生開始。 1.「フランシスコ・ザビエルの東洋への道」と題したもので、ザビエルの誕生からイエズス会の創立までを音楽で表現したもので、1500年代のスペインに代表される音楽によって綴られており、静かな中に荘厳さが漂います。 2 メンデルスゾーン:交響曲第5番「宗教改革」より第4楽章。ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 正午少し前より。 3 モーツァルト:レクイエム ジョルディ・サヴァール指揮 ラ・カペラ・ナシオナル・デ・カタルーニャ、ル・コンセール・デ・ナシオン、ほか 4 フォーレ:レクイエム ミシェル・コルボ指揮 ベルン交響楽団、ほか 夕方より 5 ラ・スパーニャ:グレゴリオ・パニワグワ指揮 アトリウム・ムジケー・ド・マドリード 6 ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」カール・ベーム指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 7ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 8 ヘンデル:メサイヤ クリストファー・ホグウッド指揮 オックスフォード・クライスト・チャーチ合唱団、エンシェント室内管弦楽団、ほか 以上です。 はじめに予定していた、ハインリヒ:シュッツ(1585 - 1672)が旧約聖書の詩篇に基づいた曲集「デビデ詩篇曲集」から、「涙をもって種まくものは」日を改めて聴くことにしました。 親友の冥福を心より祈ります。

Karajan oder Böhm?

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 親友はカラヤン・ベルリンフィル派だったのは間違いないところで、ベートーヴェン、ブルックナー、ブラームスなどベルリンフィルを指揮するカラヤンの姿はどうも親友に似ているような気がする。 そこへ行くと、音楽の解釈というかウィーンの雰囲気が好きな私はベーム・ウィーンフィル派であり、それでもお互いの良さを認め合うっていうかいいものはいいって。笑 で、違うことに大切な意味がある。そういう暗黙の了解があった。

Die mit Tränen säen, werden mit Freuden ernten. Psalm Davids SWV 126: 5-6

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 大好きはドイツの作曲家 ハインリヒ:シュッツ(1585 - 1672)が旧約聖書の詩篇に基づいた曲集「デビデ詩篇曲集」から、「涙をもって種まくものは」を今日のラストに聴きたい。 涙をもって種まくものは、喜びの声をもって収穫を得る。 彼らは泣きながら出て行って、種をまくが、 収穫の束をたずさえ、 喜びの声をあげて帰ってくる。 その前に、正午から親友の納骨式と、奥様から伺いましたので、穏やかなフォーレのレクイエムと、何回もいろいろな名演で聴き馴染んだモーツァルトのレクイエム、その他いろいろを彼と一緒に聴きつづけたい。

Machine manufacturers and electrical manufacturers.

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 大学を卒業して最初に就職したのがカメラメーカーだったCanon。ですから、デジカメに至るまでF-1 および FDレンズ群には随分お世話になった。未練はないけれど。 いま、使用中のデジカメはSONY αシリーズで7から数えて7R,7RII, 7RIII, 7RIV, 7RIV(A)途中でα1もあったから7台目になる。何がなんでもSONYかというわけでもなく、単に大好きなZEISSのレンズが使えたからというのがここまで続いてきた理由。 いま、ボディメーカーとして考えるとフィルムカメラからデジカメへ引き継ぐメーカーは「機械屋」、ソニーは「電気屋」という構図だと思うんです。モノとしての魅力は断然、電気機器より精密機械としてのカメラにある。 いま、自分が、がんを患ってあと何年もつか。をちょっと考えると、デジカメも最後は「機械屋」それもNikonを中心に使って、あのNikkorレンズ群にお世話になってみたい、などと考えるのであります。

Septem dies iam elapsi sunt.

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 長い7日間だった。 抗がん剤の副作用は退院後から5日間ほどがかなりきつい。がんに対して効果があったと感じる反面、自分の生きようとする正常細胞もコテンパンに痛めつけられた。当たり前の自分の肉体、精神がやっと昨日あたりから作動し始めた。 入院前のメインシステムは下の写真の通り、20cmフルレンジユニットのエンクロージャーの上にホーンツィーター2つ乗せ、周波数帯域に差をつけて鳴らすというか、あたまのなかで描いたやり方をああでもない、こうでもないと試行錯誤を繰り返し、やっとそれなりの平和な世界を見出したところだった。 で、退院して今日撮影したメインシステムは親友がかっこいいと褒めてくれたスタイルに戻っている。というか親友が斜め後ろから、「こんなに複雑にしなくても、もっとシンプルだったときのほうがよかったですよね。」と核心をつくご発言をなさる。 いや、そのとおりでございます。と、スピーカーマネジメントシステムの前にしゃがみ込みもっとシンプルに、不要なものは削ぎ落として。と、親友との会話が始まっている。 さて、余計な配線を別室にさげて、イコライザーカーブの微調整をCDごとに繰り返すことが何回か。 「ほらね。だから、いったとおりでしょ。」 この部屋では、音楽が鳴りだすと親友がやさしい笑顔でとなりにいるのである。

Speaker units other than JBL that interest me a lot.

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 JBL以外で親友が2023年2月25日付ブログに記載したスピーカーユニットのこと。 ただ、「お勧め」としか書いてない。親友らしい。本当にいいものは、なぜいいかなど気に入った方が購入して四苦八苦しながらいい音を目指すしかない。そう言っている。もの自体はいいよ。っていうこと。 親友の形見としてこのスピーカーを手元に置いて大切に鳴らし続けたい。 スピーカーユニットは限定生産なのでまだ買えるだろうか。エンクロージャーをどうするか、スタンドをどうするか。 彼はそっけなく私のうしろで見て語っている。「そりゃぁ、親友だから、なんとかできるでしょ?」 そうですね。 まずはユニットがまだ入手可能なのかネットで検索してみたところ、ユニットはまだ少しありそうですが時間の問題で、エンクロージャーはメーカー販売終了で在庫なし。 親友のを形見としてもらいうけることに。 親友のサイトより写真を借用しました。

My Best Friend's Legacy: Blogs and Equipments

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写真は親友のものを借用しました。  親友の逝去。心の拠り所のなさと不安。 今、彼が残したブログをあてもなく読み返している。多方面に書いている彼ではあるが、オーディオ論旨の柱はJBL(Professional)、より正確に焦点を絞るとJBL #4343に集約される。 彼のリビングにいま取り残されたJBL #4343はもっとも普遍的な彼のJBLを鳴らす基本中の基本の音であると言い切れる。 彼は何度もJBL#4343をfemme fatale(赤い糸で結ばれた運命の女性:男を破滅させる魔性の女性)と表現している。彼が若い頃、オーディオで深刻な挫折を体験したその相手が#4343であり、使いこなせなかった、ちゃんと鳴らすことができなかったと繰り返し告白し、嘆いている。その意味では「魔性の女性」的存在であった。しかし、いまの#4343は散々苦労してきた中で最後に出会った赤い糸で結ばれた運命の#4343だと私には思われる。おそらく彼の部屋の配線を見れば、今なおJBL#4343はすぐに音を出せる状態であろうことは容易に想像されるのだ。 私が親友と出会った1981年、彼の部屋にはもうすでに#4343はなく、彼も積極的にこのスピーカーについて語ることはなかった。私が知るプロ用JBLが彼の部屋に再び登場するのは#4344という後継機種であった。これもまた容易な存在ではなかったのだが。この#4344と格闘する姿を見て、感じたのは、やり残した思いの強い#4343についてのこだわりだった。 つまり、彼のオーディオはJBL#4343がブレない軸として常に存在していたこと。それに加えて彼が習得した技法を、さまざまなタイプのスピーカーを通して、理想の#4343音像に近づけ、再現すること。だからスピーカーだけでなく、アンプ、イコライザー類の多種多様な機材は必須のものだった。 冥福を祈る。

Clear distinction between things rather than ambiguity.

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東京の自宅で親友が好きだったCDの数々を鳴らす。 自然に霧が引いていくような澄み切った音になってくる。高音域のエッジの先鋭さ、低域は十分にボリウム感はあるがタイトであること。全体に温度感が少し低めでエアコンがよく効いた感じ。CDをばらばらにあれほどの数を並べても探し回っている様子もない。音に違和感があればイコライザーのあるポイントをじっと見つめ、何も言わずにさっと必要最低限の調整をしに機材に向かう。いまのピアノとベースのちょっとかぶったところの調整?って聞くと静かににこっと微笑みを返してくる。「わかりました?そうそうそう、そこらへんをちょっとね。」穏やかに語るこういう何気ない会話や風景を二度と味わうことのできない辛さがどうにも耐えがたい。 私はあまりCDを使わないが、この数日ばかりはテーブルにCDを雑に並べている。やはり、音のスタイルといい、親友はいま、この部屋に来てスピーカーをじっと見ている。

Quod amicus meus mihi in corde suo voluit indicare.

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 Quod amicus meus mihi in corde suo voluit indicare.= What he wanted to tell me in his heart. 親友の奥様によると彼が息を引き取ったほぼほんの手前の時刻に私の初回退院が決まっていた。 彼がメールで残した最後のメッセージ。 「戦友として残された時間よろしくお願いします。」2023年10月13日 12:01 私から送った最後のメッセージ。 「こちらこそ。いま、戦うときですね。お互いに。」2023年10月13日 12:06 以上が親友と言葉でお互いに交わした最後のメッセージです。 このメールが来る数ヶ月前、6月の時の肺梗塞のときから彼はこの先、何が起きるかについて覚悟ができていたのだろう。彼との通信手段はメールよりもブログが手っ取り早いであろう、というか、ブログならアップしたらすぐ見てくれると思い、それ以降は親友と私のこの42年について振り返りながら、私の心境をなるべく素直に伝えようとしてきた。それが伝わったと理解したい。親友から最後に戦友に格上げとなったこともひとつ。目の前に具体的に見えるお互いの最期。戦場は違うけれど、もうあとがない。 親友が書いた彼の「残された時間」はもう過去のことになってしまったけれど、私にとっての「残された時間」はこれからさらに重みを増していく。「よろしくお願いします。」のひとことはなにより、これからも信じて頼り合っていくこと。だと、思っています。 ミシェル・コルボによるフォーレのレクイエムを。

Just keep playing music for him.

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 退院後、しばらくぶりに自宅装置を鳴らしてみた。 親友はここに来てこの音を聴いている。そう思うほど彼の装置の音に似ている。 遠くからほのかに響く音はとりわけ透明に。 あと数日はお互いによく聴いたジャンルを演奏に耳を傾けたい。

Mein bester Freund ist verstorben. Plötzlich. R.I.P.

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 突然の訃報でした。 戦友とまで格上げしてもらったオーディオの親友が逝去した。R.I.P. 68歳。早すぎる。 その悲しい知らせは私の抗がん剤治療1クールが終わって帰宅して、柚香さんを通じてもたらされました。 親友との出会いについては今まで何回もこのブログに書いてきました。 しかし、いくら悔やんでも、泣いても彼は戻ってこない。だから、一緒に聴きまくった音楽を阿吽の呼吸のように一緒に今晩は静かに鳴らし続けたいと思います。 親友とのお付き合いが始まってから4〜5年経った年の5月、私の誕生日祝いにいただいたバッハのカンタータ集。これはお互いの装置間で行ったり来たりしてお互いの耳の奥底に染みついている演奏。音が出た瞬間、すぐ隣に笑顔で一緒に聴いている親友の姿を感じ、ぞくっときました。 さあ、懐かしい曲を次から次と一緒に聴こうね。

Barcalore played by Pat Metheny Group

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何回も書いているけれど、このアルバムはいろいろと自分の人生に絡んでる。そう思う。  1982年NYに赴任した際、まだ運転免許を取得する前に赴任を命じられ、上司からは「君は英語喋れるんだから、向こうでとりたまえ。筆記なんか簡単なもんよ。」と煽られていったら、筆記じゃなくて実技で落ちに落ちまくった。要はNY訛りの英語が何回聞いてもわからんかった。 一人でホテルに缶詰。土日は同僚も上司も家族サービスで忙しく相手にしてくれないから、ホテルから歩いて近くのハンバーガーショップやKFCに出かけ寂しい思いをした。寂しさにはバーボン。どこにでも安く売っていた。日本から持参したシーバスもうまかった。 唯一のオーディオマシーンはSONY Walkman IIカセットプレーヤー。Nakamichiのデッキでメタルテープに録音したPat Metheny Group のOFFRAMPが入れてあった。A面、B面とひっくり返して何回も何回も聴いた。あれから40年である。がん闘病生活で妙にNYのホテル住まいの頃が蘇ってくる。 同じアルバムを40年前はカセットで、今はハイレゾで聴いている。DSDデータで入手したので音の物理特性は自宅で聞く音とかわらないほど進化した。でもね、あのどうしようもない寂しさと将来への不安。どうしてもそこに辿り着く。家具はもとよりオーディオ装置も置けない殺風景な広いホテルの部屋。どうしても寂しいときは親友に国際電話をかけた。長時間、話に付き合ってもらった。国際電話の請求がモーレツな金額だった。 運転免許がとれる前にFORD Mustang GT 5.0L H.O.という、やんちゃな車を買った。マニュアル4段ミッション。ホテルの駐車場に置いてただただ眺める毎日。 秋近い頃、先輩が転勤。彼の部屋を引き継いだ。即、日通から家財道具を取り寄せた。真っ先に開梱したのはオーディオ機材。なつかしく、一気に設置した。音が出た瞬間には泣けました。住むところが決まれば車でどこでも出かけた。NY州の北、ハドソン川にタッパンジーという鉄橋がかかっている。ボブ・ジェームスの最初のレーベルの名前。この橋を渡りながらボム・ジェームスを大きな音で鳴らしたのはなつかしい思い出です。

The first infusion treatment has just been completed.

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 午前中で今回の点滴終了。副作用は歩くときのふらつき(フレイル)と口の渇き。それ以外はほぼ正常。ほぼね。 点滴台がないって本当に自由になれた気がします。約2週間自宅で療養し、また2回めの治療にここに戻ります。 ベートーヴェンはこういうときにいつもパワーを与えてくれます。

The moments when I realized that audio is my best hobby. It's a long story.

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  闘病生活は暇。暇。暇。 こういうときに思い出して書いておきます。親友とも共有したいし。 高校時代から大学を経て、親友と出会うまで、自分のオーディオが奏でる歪みっぽい音にたいそうがっかりさせられ、私のようなクラシック好きには最悪の音だった。ふとしたことで親友をオーディオの先生として紹介していただいた。1981年4月上旬だった。ここが我がオーディオが開花するスターティングポイントである。間違いなく。 自宅に来て診断をしていただく前に親友のご自宅を訪問し、正野でございます。と、ご挨拶 。まず、彼の部屋にある機材の豊富さ。プリアンプはUESUGI U-BROS 1だったか。パワーアンプはアンプズィラだったか。レコードプレーヤーは思い出せない。スピーカーは中型のバスレフ(BESS?ブランド記憶なし)とインフィニティのRS-b小型ブックシェルフだったと思う。クラシックからジャズ、ヴォーカルなどいろいろ聴いた。自宅の音とは全く異なり、微笑みのある、しなやかで、のびやかさに満ちたそういうオーディオ装置が鳴らす音楽に聞こえた。その彼の部屋でみた。McIntosh C28 & MC2105。その美しさは未だに鮮明である。 私の自宅で音を聴いた親友は言った。まず、オーディオはスピーカーが要というか基本です。で、秋葉原で試聴しPIONEER S-955 というクラシックからジャズ、ロックまで聴けるスピーカーをも推薦してくれた。これは一大事だった。スピーカーのグレードが上がるとアンプにも手をだす。McIntosh C29が自宅に来たことがその証拠のひとつ。このS-955をニューヨーク駐在員時代にベイサイドのアパート、広い部屋でならしたのが最初の頂点だった。これは間違いない。1982〜1983頃。 帰国してCDが自室に登場して、グラフィックイコライザーを導入した1984年。グライコで最初はかなり乱れた補正だったと思うけれど、ぼんつく低音をスッキリさせたり4kHzのキンキンした音をなだらかにしたり、そんなこんなでなだらかに山登りをしていた頃もなつかしい。 1985年頃、風邪で熱出して自宅でうなされているとき、親友がQUAD のプリとパワーにRogers LS3/5Aをわざわざ持参して自宅に来てくれた。 そこで鳴らすブリティッシュ・サウンドの強烈な印象。ホグウッドのモーツァルトに両目が

Ich mag Rudolf Serkins Klavierspielstil.

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 オーケストラを中心にしたクラシック音楽に親しみ出したのが中学生の頃。高校生、特に仙台で下宿していた頃は浴びるようにクラシックを聴いていた。 なので、有名な曲は最初に誰の演奏に接したかとうことは、とても大切なことだと感じています。例えば、ブラームスのピアノ協奏曲 第一番。これはもう、セル・クリーヴランド、ルドルフ・ゼルキンにトドメを指します。セル・クリーヴランドの緊張感ある乱れのない弦楽器アンサンブル。それに真っ向から堂々と磨きのかかったピアノが聳り立つ。出だしから鳥肌ものでした。セルとゼルキン。親友同士かっていうくらいツボがハマって大変気持ちがいい。テンポ感から盛り上げてどさっと下ろすポイントもぴったり。 入院中にタワレコサイトで見つけたルドルフ・ゼルキン最後の未発表録音。1991年に亡くなるまで闘病生活を続けたのでこの録音は最終承認をゼルキンご本人からは得られなかったとのこと。 最晩年なら、技術は完璧ではないかもしれない。けれど、そんなことは関係ないっていま闘病生活になるとじわっとわかってくる。

My current situation in the hospital.

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唯一の娯楽。 昨晩の就寝前の音楽。ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団によるモーツアルト、交響曲第38番プラーハをDSDのハイレゾで。安心して聴くことに没頭できる演奏です。第3楽章で全曲が終わるんですが、尻切れとんぼ感まったくなし。名曲ですよね。4楽章形式から外れた交響曲には名曲が多いんじゃないかと感じています。 抗がん剤の副作用は今のところ少ないですが、肝心なのは退院後の自宅療養時に副作用がどのような形で出てくるだろうかだと思います。

Crises in life come suddenly and without warning.

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ぼんやりした胸の痛みを抱え近所の総合病院を8月中旬に受診。消化器内科での内視鏡検査で、食道がんらしいと診断を受けた。あまり驚かない自分の方にびっくりした。人ごとのように思った。医師から転院を勧められ、転院先で食道がんが、確定。もっと詳しく調べたいと、さらにセカンドオピニオンを依頼。わずかな期間で、がん専門病院に入院でき、いま、抗がん剤治療で点滴を受けている。世間で言われる副作用はまだ感じないが、歩くとふらつきがはっきりわかる。 食道がんは私のようにアルコール耐性が低いとなりやすい。また酒類の業界に長らくいたので、下戸がたっぷり酒のんで、50歳頃から密かに食道がんが発生、分裂を繰り返し、70歳手前ではっきりわかるがん組織として突然目の前に現れる。現役バリバリの頃は免疫力もしっかりしているけれど、年齢とともにそのパワーも落ちる。 過去のことはどれほど悔やんでも帰らない。だから、くよくよせずに前を向こう。沖縄の親友もしっかり前を向いて病と闘っている。これ以上に強いサポートはないと思っている。 柚香さんがお守りを持ってきてくれました。ありがたい。見つめているだけで治る気がする。 いろいろ感謝。

Classical concerts in a hospital room.

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 がん病棟って書くと、もう戻ってこない、片道切符、一方通行専用など、あまりいい意味には聞こえませんね。 さて、抗がん剤の点滴が始まりました。3種類ほどもう体内に入ってますが、これといって副作用を自覚していません。食事も毎回完食。完食ついでに間食までたべたりして。 ゼンハイザーのイヤホンはもう最高です。クラシックに。ほんと。周囲のノイズを消し、コンサートにのみ精神を集中できる。抗がん剤なんて夢の彼方。特にBeethoven, Brahms そしてわたしにとっての3BであるBartokをとことん堪能できる。Bはいっぱいあって困ります。Bruckner,Bachもあるし。 Mも大切。私の3大MはまずMonterverdi, Mozart それからMahlerときます。 この狭い病室ですが、一度イヤホンを装着するや、コンサート会場です。ま、ハイレゾです。 バランスはどこをどうとっても秀逸で、五体満足に動けなくなったときの究極のオーディオはイヤホンがスピーカーに取って代わるかもしれません。イヤホン、ヘッドホンの進化は思っても見なかったって言っていい。

How to play music at home while I stay in the hospital. For Yuka-san.

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 入院中は自宅で音楽を柚香さんと一緒に聴けないという問題。柚香さんに私のFOSTEXメインシステムの使い方、つまり電源を入れる順番、結線の確認、スピーカーマネジメントシステムの設定、入力の設定などを説明しようとしても、そもそも、アンプとは何のためにあるか。から説明しないと。 marantz M-CR611につないであるM's Speaker Systemを鳴らすことはできる。SONY SACDプレーヤーからVitalのRCAケーブルでmarantzにアンバランス接続。SACDだろうがCDだろうがSONYのプレーヤーに円盤を突っ込めばあとはmarantzが勝手に再生してくれる。この方法で1週間頑張って音楽聴いてほしい。 Vital のアナログケーブルはBELDENと異なり、脂ぎってないし(失礼)、静けさの再現に勝るような気がしている。聴く音楽のジャンルを考えるとエネルギッシュなBELDENよりVitalにするほうが全体の音のバランスは良くなる。自宅の場合ですが。

Den D/A-Wandler möchte ich jetzt kaufen. Wenn ich Geld habe.

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 ドイツのSPLは親友も一部製品を使っているブランド。中でも個人的に興味津々なのがDiamond っていうD/A-Wandler (D/A Converter) で、なんと言っても駆動電圧が高い。圧倒的に。 こういう世界はプロ用のあいまいさのない性能をもたらしてくれると確信している。 使ってみたい。お金があれば。ないけれど。

A place where one's free activities are restricted for while.

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 病院は自分の生命を病気から少しでも正常な方向へ導く場所であるからして、自由闊達な活動は当然ながらものすごく制限を受けます。これはしかたがないです。自由を獲得したら、やりたかったことを精一杯やるしかないんです。 特に、ICUは別名I SEE YOUですからね、お医者さんが、あんたを、見てるよ。ってことですし。 お酒を絶って1ヶ月以上が経ちました。が、不思議と飲みたい意欲はありません。ノンアルビールはいろいろと探しては試し、を繰り返しました。ドイツのクラウスターラーはドイツワインを輸入している友人もこれはいいって彼も飲んでますしね。国産でいいのがないのか探したら業務用ですが、アマゾンで見つけてケース買いしました。SAPPORO Premium Alcohol Free 本物のビールより健康的でいい。ノンアルのエビスっていうか。 制限された中でも楽しみは見つかる。見つける。絶対に。オーディオもね。