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Viola da Gamba or Cello

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 バッハの無伴奏チェロ組曲は若い頃、その出だしを聴いてみて、これは飽きる。って思った。若い頃は得るエネルギーも壮大なものの方がうれしいから、ソロの楽器が奏でる組曲にはそっぽを向いたんだと思う。 しかし、70歳が見えてくる年代になると、そして、がんという病に悩まされるとこの大人しい渋い音の連なりが曲として脳に染み込んでくる。いいって感じる。 曲の印象からしてバッハ大先生が晩年に作曲したものかと思っていたら、実はケーテン時代って、バッハ大先生が32歳からの数年の結構若い頃の作品と知ってびっくり。 もうひとつ書きたいこと。チェロのための組曲ではあるけれど、ヴィオラ・ダ・ガンバによる演奏CDを手にして楽器の違いによる曲の印象の違いに相当に驚いたということ。 ヴィオール族のヴィオラ・ダ・ガンバとヴァイオリン族のチェロは楽器を支える方法から、弦の数も違うし、フレットの有無もあるし、そもそも弓の持ち方も違う。 ヨー・ヨー・マの若い頃に録音したチェロ版を最近聴いていたんですが、フランスのミリアム・リニョルさんによるヴィオラ・ダ・ガンバ版の演奏を耳にして楽器の音にとても魅せられました。 同一の曲がまったく別の曲かと錯覚したんです。新鮮で、深い。 いずれにせよ大バッハは大先生である。これに尽きるんですが。 辛口シャルドネワインをたとえにしてすみませんが、チェロだとしっかり樽熟成したムルソーを感じるのに対してヴィオラ・ダ・ガンバだとMLFをしないキリッとした酸とミネラルを感じるシャブリ。ま、例えばの話ですが。 まだワイン飲めない時期なので、飲めるようになったら味わいながら聴き比べてみたい。かなり先かも知れませんがね。 ヴィオラ・ダ・ガンバ ヴィオラ・ダ・ガンバを演奏する女性 チェロを演奏する男性

Fred Hersch Silent, Listening

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 フレッド・ハーシュ アメリカのジャズピアノプレイヤー、作曲家。 親友と同じ1955年生まれ。 このECM的なとてもSilent Listening的なタイトルの通りの音の世界。なんといっても孤高としかいいようのない音。ジャンルを超えた、ジャズでもあり、現代クラシックでもあり。でも美しい。ECMからお初のソロアルバム。ジャケットがまた美しい。とってもECM。 調べて驚いた。フレッド・ハーシュはジャズトリオと弦楽四重奏とのコラボなんかもやってる。単なるジャズ演奏者ではない。 親友もきっと「いいね!」っていいそう。 ちょっと深掘りしてみたい。

Last Days Ryūichi Sakamoto

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 2024年4月7日放送NHKスペシャルLast Days 坂本龍一 最期の日々。この番組はショックだった。ご家族もよくこの生々しい映像の公開を許可してくれたと思いました。最後の最後まで音楽にこだわる姿。それに感動。自分もがん患者になってやっと見えてきた部分も多い。 自宅ハイレゾから「千のナイフ」(2016年リマスター版)を聴いています。鋭い、エネルギーに満ちた若さ、音楽が生々しいです。

Reconsidering frequency balance in my main audio system.

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 たまにはオーディオのことも書かないと。笑 自宅のメインシステムは20cmフルレンジに効能率ホーンツィーター2台っていう高域過多のシステムです。どうしても高域が目立ちすぎる傾向です。 そこでこういう変態的システムのバランスを取るにはスピーカーマネジメントっていう名前は仰々しいユニット(市販価格5万円程度)が大活躍しています。このユニットにはゲインコントロールだけでなくクロスオーバー周波数調整、パラメトリックイコライザーやディレイも搭載されており、従来はイコライザー機能のみを使っておりましたが付属している機能は使わないと損だっていうことで設定画面を出して変えては聴き、また変えては聴きを繰り返しています。ディレイ機能はなんとなくですが、スピーカーから3mのリスニングポジションでは使い方次第ですが、違和感が減少するポイントも発見できています。 これらの調整ポイントはデジタル時代の恩恵であり、アナログ全盛時代には調整したいと思っても手段がなかった類の項目です。親友もかつてより述べてますが、機材そのものからはフラットバランスで音が出ていると仮定しても、部屋の特性(広さ、高さ、奥行き、反響具合、機材を置く場所、左右の距離、壁からの距離、床からの反射などなど)によって周波数特性はぐにゃぐにゃになってるのは間違いありませんので、いろいろいじっては聴いてを繰り返し、自分と居心地の良い音楽の関係を時間をかけて築いていくしかないんだと思っております。

Returning to the origins of his sound.

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 親友がこの世を去ってもう半年。同時に寂しさが半年継続しているのも事実です。 SoundFrailに、「わたしにとって理想の音は、雑味のない無垢で清潔な透明感、濃密な色彩感がありながら暑苦しくなく、サラッとした爽快感がある響きだ。」(2021年3月13日)との記述を見つけました。 最晩年の彼が使用していたYAMAHAの機材群はまさにこの表現に通じていると個人的に感じています。最晩年に限らず、彼の最愛のスピーカーJBLの4343を駆使する方法にさえ、この哲学が貫かれていると思っています。 さらに40年以上前に遡ると、まだGEQやPEQなどを使い音響調整に本腰を入れる直前にはMarkLevinson SL6 左右完全セパレートで電源部まで別というそれこそ入力とボリウム以外何も付いていないシンプルなシルバーパネルのプリアンプが彼の哲学の原点という気がしています。内部の配線のみならず、銀のケーブルがもたらす誘惑に満ち溢れた濃密なようで清潔な透明感あふれるサウンドにもその後の手本となったことが手に取れる、そういう機材でした。 おそらく、お互いの好みの響きの傾向、気になる周波数や濁りなどがことごとく私も似ていたのが功を奏してこの長い付き合いに至ったのは間違いないですが、違う部分、ことごとく気に入るまで追い詰める根気強さは私にはなく、お互い微妙に違うからこそ長くいい関係を保つことに繋がったのかも。って思います。 もう一緒にお互いのこれからのオーディオを語りあうことがなく、過去にひたるしかない寂しさはかなり辛いものがあります。

Once you get used to listen to it.

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 2018年頃からハイレゾのデータをダウンロードしてUSBのDACを通して楽しむ方法を始めています。最初はiFi社のエントリークラスのDACからスタートして、いまは同一会社の高級品を使うまでに至りました。 昨年10月、抗がん治療で3回の入退院を繰り返した際、ハイレゾを入院先でも楽しみたいっていうことでiFi社のDAC付きポータブルアンプ(イヤホン再生用)を買って使ってみました。 イヤホンだからでしょうか、DACもかなり満足度が高くなっていてこれで充分かも。って。 2月上旬に退院してもう2ヶ月ほど。そのポータブルDACを思い出してメイン装置のDACと交代して我が家のオーディオ装置に使ってみてちょっと驚いています。 いいんじゃない?慣れてしまえばどっちで鳴らしているかわかんないよね? 1ヶ月はこの設定にして存分に耳を慣らして、またDACを交代したときにどう感じるか。 怖い答えは:どっちも音は変わらないよね!

Les gens ne regardent pas les blogs qu'ils écrivent. Est-ce vrai ou pas ?

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People don't look at the blogs they write. Is this true or not? 自分が書いたブログはみんな見ないってほんと? 個人的に、自分のブログはお粗末って考えていて、それを記録として残そうなんて考えたことはないんです。新しくサイトを作ってスタートしたら前のブログサイトは消そうとしますが、消せない場合もあり、そういう場合は無視してます。書いたら書いたとたんにその内容はとりあえず終わり。自分に自信がないからそうなるんですけど。自分が書いたブログ読み返して、いいなっていうのはまずないですね。他の方々のブログは読み返すことがおおいですが、どうしてでしょうかね。 音楽や芸術はさすがにプロが残した作品には何回もリピートして接しますね。味があるんで、毎回異なる印象を受けます。 ひさびさに聴くキース・ジャレットのスタンダーズ。1と2。こんなに印象違ったんですね。また何回も聴きかえすことになりそうです。

L'œuvre de Rameau, oubliée depuis environ 200 ans.

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 フランスバロックの偉大な作曲家ジャン・フィリップ・ラモー(1683-1764)さんです。え、知らん。ですよね。の晩年の大作オペラ「レ・ボレアード」。 作曲時の不幸というか。ど・えらい作品であるにもかかわらず、初演がキャンセルされ、劇場も火災にあい、ラモーさんも翌年に逝去。図書館に楽譜が200年ちょっと保存され忘れ去られてたとか。 約200年後の1964年にコンサート形式でラモー没後200年記念で放送されるまで眠ってたんですね。 内容はギリシア神話をもとに、ある女王が身分違いの恋を初志貫徹して最後に勝ち取るおはなし。 曲的にはもうバロックを過ぎて古典派の時代の作品で、オーケストラの編成も時代にそぐわず大きくて、聴いてびっくりの劇的な表現なんですね。 ジャケットも美しいというか、これはジャケ買いしたんですが、ハイレゾDACを通して聴くともうCDクオリティで十分じゃないかって思うんですね。 フランスを中心にしたバロック作品はこのシャトー・ド・ヴェルサイユ レーベルは演奏のクオリティ、録音のクオリティ両方で満足できるレベルであると勝手に思っております。

Can't eat authentic sausages so far.

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 東京も3月の終わりですが、気温が!26℃にも上がります。こうなるとホットドッグスタンドですよね。麻布十番の有名なN.W.D.さんの1Fにあるこのホットドッグスタンドはもう有名ですが、ソーセージがさすがお肉屋さん、本格的なんです。うまい。ビールもあるし。 でも、残念ですが、食道がん手術を終えた身にとっては、この本格的ソーセージを咀嚼できない。噛めない。おまけにドクターストップでビールもだめ。つらいところです。

Maurizio Pollini, Dies at 82...

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 ポリーニが亡くなってしまいました。思えば、大学生の頃、ショパンのポロネーズ集をLPで買い求め、何回も聴いたことか。これが個人的なポリーニとの出会いでした。 バルトークのピアノ協奏曲のLP、これもまた鳥肌が立つ経験をしました。ピアノを打楽器のようにたたきつけポリーニの音が聳り立つ。アバドとポリーニの情熱とシカゴシンフォニーオーケストラの圧倒的パワーが相まってこの演奏以外バルトークのピアノコンチェルトは聴けない時期が長く続いたほど。感動の極みとはこのことでした。 若きブラームスのピアノコンチェルト第1番、ベーム ウィーンフィルの重厚かつ丁寧な曲の展開にピアノが対等の存在としてのスケールを示す演奏も、大好きです。 その、ポリーニがこの世を去ってしまいました。冥福を祈ります。 そのポリーニの演奏をハイレゾ音源で聴き直しております。

L'Oiseau-Lyre (DECCA)

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 親友も私も古楽系レーベルの中で音像のキレがよく鮮度感抜群のオワゾリールレーベルのLPやCDは一緒によく聴いておりました。 オワゾリールとは、フランス語で、(オーストラリアの)コトドリ属の鳥のこと。古楽復興に寄与したレーベルとして1932年にパリでスタート。1973年からは英国DECCAの傘下で古楽専門レーベルとして発展してきました。Christopher Hogwood Academy of Ancient Musicはバロックから現代に至る幅広いジャンルの演奏団体として名を馳せています。 そのオワゾリールレーベルを1枚、今回は新譜(といっても録音は1982年ですが)としてタワーレコードから購入。 最初の出だしから親友が好んだ音色、つまり10kHzあたりから上の解像度が高く、トランジェントの良い音で鮮明なキレと余韻が特徴って、親友が聞いたら「それだけが好きなわけじゃあないんですよ、わかってます?」と言われそうですが。笑 でも、そういう透明で見通しの良さを彼は大切に思っていて、それを具体的に目にするような音がこのオワゾリールレーベルにも感じます。 この2枚組のCDの2枚目、8番目の曲に注目したいです。曲名はなんと「膀胱結石手術図」って。1725年マラン・マレという作曲家の作品ですが、なんとご本人の体験談から作曲に至ったというお話。まだ麻酔がなかった時代です。手術は痛すぎて声も出なかったらしいですが。 完全麻酔で食道がんを手術した自分には恐ろしい世界ですが、時代背景も異なりますし、その想像を絶する痛みは曲を聴いてみるしかありません。 なんか、突き放すようでマラン・マレさんには申し訳ありませんね。アヤン・マレ?っていう感じでしょうかね。失礼しました。

Szell and Walter Stereo Recordings in USA.

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 久しぶりにオーディオ装置の再生イコライザー設定を1950年代から1960年代のアメリカCBSで録音されたオーケストラ用に大幅に設定しなおしてじっくりとセル・クリーヴランドのワーグナーとワルター・コロンビアのシューベルトを聴き込みました。 がんの手術後2ヶ月っていう時間の経過を振り返りつつ、よくまあここまで回復できてきているってしみじみ感傷に浸りつつ。 イコライザーの調整をしつつ、また耳を傾けて調整してこれでいいっていうポジションが決まるとどことなく精神の統一ができた感じがして、ふと、真横に親友の存在を感じつつの音楽鑑賞になります。 セルのワーグナーは圧巻。まったく整然と大オーケストラが鳴り響く雄大さは偉大だと思うんです。ワルターのシューベルトは先日購入したベーム・ベルリンフィルの演奏との比較にどうしてもなってしまうんですが、晩年のワルターは全く老齢感がなく、やさしくおおらかなテンポで、そして劇的な瞬間にですらなお新鮮な解釈を感じる気がします。こんなにゆっくりのテンポのときですら全体の構成が寸分も乱れない凄み。ちょっと鳥肌が立ちました。 あと、何年こういう幸せを音楽に見出すだろうなんて、まだまだ先のことですが、この一音、一音の刹那に感じる自分の立ち位置というかポジショニングっていうか。それを想います。

Château de Versailles Spectacles

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 ヴェルサイユ宮殿の文化催事プロジェクトチームは2018年頃から独自のレーベル Château de Versailles Spectacles(シャトー・ヴェルサイユ・スペクタクル)を立ち上げ、フランスバロック時代の音楽家たちの作品のみならず、古楽界の知られざる魅力的な曲を次々と再現しCDなどでも発売。そして個人的にこの煌めく世界にどっぷりはまりました。 同じフランスバロックでも名声を得たリュリ、不遇な生涯を送ったシャルパンティエはじめ、名前しか知らない作曲家たちの優れた作品群は優れた演奏と録音によって日の目を見ております。

New Jacket case for my SONY Cyber-shot

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 実家からいただいた2015年発売のDSC-WX500ですが、ジャケットケースがぼろぼろになってぽろぽろと革の表面からの崩落?が出て惨めな姿を晒しておりましたので、ネットで新品のケースを探したところ、さすが、アマゾン、ありました。3千円なり。 さきほど届き、付け替えました。ストラップを無くしていたのでこれで肩からもかけられます。ケースを新調するだけでカメラも新品のように(あくまでも)見えて、まだまだ使うぞっていう気分になります。ブツ撮りにはこの小さなセンサーはボケがないのでスッキリと見えます。フルサイズのα7シリーズ機は出番がなく、それでも使うつもりではおりますが、このまま防湿庫入りの気が。年齢とともに軽さだけが良し悪しの判断基準になってきております。笑

Jean Baptiste Lully (Giovanni Battista Lulli)'s Te Deum

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 1687年初演のTe Deum laudamus (神であるあなたを讃えん)は有名な曲ですから演奏も多種多様にわたり、ど派手なものから17~18世紀のフランス王朝を彷彿とさせるもの(個人的な感想)までありますが、あまりど派手なものはちょっと疲れます。 イタリア人でのちにフランスに帰化し、ルッリさんはリュリさんになり、太陽王ルイ14世に見出されて王室総音楽監督に上り詰めたのはご立派です。このアルバムはジャケット見てピンときて即予約購入しました。王様ご臨席感満載で、ナチュラル・トランペットが鳴り響き、ゆったりとしたテンポでありながらかなりの大編成。ヴェルサイユ宮殿王室礼拝堂での演奏で聴きごたえたっぷりでした。バロック中期の黄金時代というか、この癒し体験はがんからのリハビリに必須なのであります。

ILCE-7RM4A and FE 20-70mm F4 G

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 2023年半ばからSONYのデジカメ一式を残価設定クレジットで使用しています。まだ食道がんが判明する前のことでした。がんの治療が10月からスタートして手術後の退院が2月なので約5ヶ月まったく使用することもなく我が家の防湿庫に鎮座しておりました。 3月になってやっとこのカメラ一式(ボディ665g レンズ488g)総重量1.1kgちょっとを持ってみるとこれほどに重たいものだったのかという想定外の事実をつきつけられました。手術前から体重が7kg減。筋肉も気力も大幅に減少したいま。これは、ちょっと持ち歩けない。笑 夏までには持ち歩けるくらいに体力が回復することをひたすら祈っています。

Schuberts Unvollendete und die Neunte.

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親友は彼のブログにカール・ベーム指揮ベルリンフィルハーモニーのシューベルトを書いて、絶賛しています。例えば2021年5月4日の「絶頂期のベーム1963,1966」に。 ベーム、ベルリンフィルといえば、私には1950年代最期のベートーヴェンやブラームスの交響曲は聴いて大絶賛していたけれど、1963年以降もベルリンフィルに招かれて録音を重ねていたことはほとんど知りませんでした。あらためて親友が絶賛する1963年の交響曲第9番と1966年の交響曲第8番「未完成」(SHM-CD盤)を真空管出力設定のDACで聴いて、これは親友と一緒に聴きたかったと思わずにはいられなくなりました。アナログ時代を超えたというかアナログだからというか、鮮度のいい録音で、ベルリンフィルの技術水準の高さと時代遅れにならない演奏の極み。ベームはオーケストラを引っ張り回すのではなく、シューベルトが聴いたらOKっていいそうなバランス感覚っていうか、初めてこの曲を聴いたような気持ちにさせてくれる体験があります。この1963年以降にはベーム、ベルリンフィルでシューベルトの交響曲全集があるそうなのでなんとしても手に入れて全曲を聴いてみたい。そういう境地にいま、なっております。 というわけで、タワレコサイトからSACD盤シューベルト交響曲全集をポチりました。

You should listen to Handel even now.

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 「なにをいまさら」ってタイトルを何回もつけて、よく親友はブログに書き綴っていました。ま、「開き直り」ともとれますし、「恥ずかしいけれど、今頃になって」というようなニュアンスだったかも。後者が多かったかな?っていうような気が私はしています。 バッハ、ヘンデルの有名な音楽はもうすでに卒業したって、偉そうに、勝手に決めつけていてもう聴き飽きたようなことを漠然と思っていました。がんの手術を終えて、まだまだ体のあちこちが痛みつづけるなかで、このバロックの巨匠達の音楽がいかに癒しにつながるか、圧倒的にありがたく感じております。 バッハは無伴奏のチェロやヴァイオリンが。管弦楽組曲やブランデンブルク・コンチェルトが。ヘンデルでは水の上の音楽や王宮の花火の音楽や、ハープ協奏曲が。 で、こういう基本中の基本のCDがうちにはなかった。卒業したと勘違いして卒業証書がなかったみたいな状態。なので、今回は親友と最初に出会った1980年代初期に的を絞ってヘンデル名曲集を買い求めて聴いております。ひとつはトレヴァー・ピノック指揮 イングリッシュ・コンサートのもの。もう一つはジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イングリッシュ・バロック・ソロイスツのもの。 軽快ながらも指揮者の解釈がうねるガーディナーと、端正で、折り目ただしいピノック。この2つの演奏を繰り返し聴いても飽きることがありません。もう一つ、本当はホグウッド盤も欲しかったのですが、現在入手不可能とのことでちょっと残念です。 知ってる曲でも、演奏者の解釈の違いってバロック音楽にも色濃く反映される。ほんの少しのテンポの違いが全く異なる曲のように聴こえることに、「なにをいまさら!」って思い直しております。

The trend in jacket design has changed. ECM Records

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 2024年のスタートから好きなレーベルであるECM Recordsのジャケットがモノクロからカラーへと流れが変わった。と思う。 昨年までの、色彩より抽象化しやすいモノクロのジャケットはかなり好きだった。でも、似たようなデザインが多くなり、このアルバムはもう購入済みだったか、まだだったかと、咄嗟に判断できないということもあった。こちらのメモリーキャパの足りなさの問題もあるだろうけれど。 最新ダウンロードしたアルバムはカラーの洗練された(個人的見解です)カラージャケットで、新鮮さを増したように思うんです。また、慣れると飽きるんですけどね。 ジャケットがカラー化すると、曲の色彩感もあがるように感じるのはレーベル側の意向っていうものもあるんでしょうかねぇ。 ジャケ買いっていうほぼ常態化した新しいアルバムを買うか買わないかの判断基準は当たり外れもあるけれど、概ね満足しているところをみると、まだまだ目利きの感は鈍っていないのかも。

Indian chai using CTC tea leaves

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 コーヒーや紅茶は嗜好品。凝る人は例えばコーヒー好きは豆の焙煎からドリップにまでこだわるんでしょうけれど、紅茶好きの私はせいぜいリーフティーを数種類使って好みのブレンドに配合し、ポットを熱々にあたためて淹れる。香りと味わいを楽しむだけでなく、カップをどれにするか、ミルクは先入れか後入れか、紅茶を淹れる一連の作業全体が楽しい。オーディオも装置の電源オンから付帯作業を含めて音楽を聴き終わるまでが同じように楽しいのだ。 今日のアフタヌーンティーはミルクで煮出したインドチャイ。プリンを添えて。

Das ist genau die Kamera, auf die ich gewartet habe.

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 FUJIFILM Xシリーズ元祖ともいえるレンズ一体型のX100シリーズ最新作が来月末に発売されます。まさに今の私が待ち焦がれたといってもいい存在のデジカメです。 なんといっても手ぶれ補正がついた。それに4千万画素のAPS-Cで富士フイルム独自のX-Transセンサー配列。リバーサルフィルムの色調が選べるところなどはまさにフィルムメーカーの貫禄。たった500gだし、ファインダーもデジタル、アナログの切り替え式。こんなにカメラ好きおっさんの琴線に触れるカメラはなかなかない。 と、褒めまくり。28万円って、ちょっと買えませんが、欲しいんです。笑

Mark Audio Full Range Unit MAOP series

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親友がお薦めとして何回もブログで紹介していた白いスピーカーを覚えていらっしゃいますか。 マツコの知らない世界の番組でパッシブスピーカーおすすめに登場し、スタジオに持ち込んで鳴らしていたほどのスピーカー。その時は専用のエンクロージャー付きでさすがにまとまりよく、品位のある音で、マツコさんもうなってましたね。 親友大好きのオワゾリールレーベル系のすっきり晴れ渡った、冷気漂うひっそり感のある音楽に最高の音。古楽器バロック、声楽に痺れます。この単体だけで30kHzまで再生可能なので付け加えるツィーターなしでOK。金属振動板特有の付帯音がなく、フルレンジなのでクロスオーバー歪みもなし。 意外にも大太鼓やティンパニといった立ち上がりの鋭い低域の再生が見事でパンチがあり、見た目のすっきり系からは想像もできない迫力をもたらします。 親友はこのユニットに惚れてダブルで鳴らしてましたけれど、そこまでしなくても。ねぇ。笑

Healing effects of music for patients.

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 退院してからまだ1週間程度。傷口と内臓。外だけでなく内側の双方の痛みが神経を締め上げる。 この苦痛から逃れる方法のひとつ。バルトークを聴くこと。この20世紀の天才作曲家の音楽のもつ俯瞰的な世界観には特に癒される。熱い響きに聞こえる中に超冷静な空気感が漂う。 書きながら聴いているバルトークにやはりとても癒されている。

I got home one week ago.

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 がんの手術後、ICU経由で一般病棟に。リハビリの歩行練習や深呼吸訓練、嚥下の訓練開始とともに、誤嚥が生じ、肺炎治療も行ってなんだかんだで2週間以上経過。退院できたのは2月に入って1週間を経過した頃でした。 まだ、自分の身体は別人格のようで脳からの指令もうまく伝わらず、特に嚥下がなかなかうまくいきません。手術でチューブだらけだった身体の傷口はまだまだ痛みが抜けない。ですが、ここまで携わっていただいた医療チームの皆さんや、家族、友人・知人たち、そしてなによりも一番に支えてくれる妻のためにも生きることにこだわりたいです。 帰宅後数日してやっとオーディオの電源をオンに。しばらく離れても自分の装置の音は忘れないもの。1時間半ほど鳴らしてやっと通常ドライブモードの安定感が戻ってきました。 重たいカメラは持ち歩けず、実家からいただいたSONY DSC-WX500という9年前のコンデジで、234gとこれなら持参して歩けます。今年1年は控えめにリハビリに徹底し、定期的な診断を受けて少しづつ前に進みましょうかね。 手術前日の病室から見た夜明け(SONY DSC-WX500)

Quiet morning in the hospital.

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 がん手術を翌日に控え、朝6時。窓から見えた朝焼けをSONYのコンパクトデジカメ(16MP)で撮影。まどに密着させて手ブレと窓の反射光をなるべく排除しました。 手術前には多種の検査がありますが、どのスタッフさんも皆さん笑顔でやさしく接していただき、こちらも笑顔になります。自分ががん患者だという気があまりしませんね。笑 食道と胃の一部がなくなると、どういう生活になるのか、頭の理解と実際は違うと思いますが、最悪を想定しつつ、そんなに地獄でもなさそうな気がします。 これまでに人生がこうなって来てしまった以上、これからは、悔やむ時間は無駄でしかありません。できうる限り心を明るく、素直で、創造的な姿勢を保ちたいですね。できればですが。

Digital cameras. As part of the digital evolution.

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 親友にそそのかされてブログを始めたのが2004年頃。親友はもうブログを始めていた。こんな写真でどうです?って試しに送ったガラケー写真に対して、「ブログに載せる写真はちゃんとデジカメで写してくださいね。頼みますよ。」ってお説教をくれたのは親友だった。当時はまだフィルムカメラにリバーサルフィルムを使って撮影した画像に惚れ込んでデジカメにはまったく興味もなかったけれど、ブログのために600万画素位のおしゃれなデザインのCONTAXブランドのデジカメを購入したことははっきり覚えている。 実家で使っていたSONYのデジカメ2機種がいま、手元にある。シルバーのものは2005年発売で720万画素。黒のものは2015年発売で1800万画素。10年で画素数だけでも2.5倍になった。自分が手元で使うフルサイズのデジカメは6000万画素を超える。この先フルサイズで1億画素なんて当たり前になるんだろうけれど、そこまでお付き合いできるか、がんを体内に飼ってる我が身としては知らない方が幸せかもしれない。 がん患者となった今、自分が見る世界はその前とかなり違ってきている。それはまた別項で書いておきたい。気もする。笑

2024 New Year's Concert VIENNA PHILHARMONIC

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 So begann das Jahr 2024. 2024年はかく始まりき。親友の3ヶ月めの命日になります。 毎年ニューイヤーコンサートは後になってからしか聴かないんですが。なぜかというと美しい映像に夢中になって音楽が二の次になりますから。(笑) 2024年は2019年に続いて、いま、絶好調といえる指揮者、クリスティアン・ティーレマンが登場。ウィーンフィルと実に新年にぴったりの希望にあふれた演奏が展開しています。初めて聴く曲もけっこう多く、ブルックナーのカドリーユ(ピアノ曲をオーケストラ版に編曲したもの)にはびっくり。ブルックナーはニューイヤーコンサート初登場ですね。 ウィンナワルツはそういえば親友とはほとんど一緒に聴く機会がなかったかもしれません。ましてニューイヤーコンサートの音源はTVでしか放送がなかった(と思われる)ので、一緒に聴くっていうことはなかったですね。 恒例のアンコール前に指揮者からの新年ご挨拶があるんですが、今年は時節柄、ちょっと長めで平和で音楽をあたりまえに聴ける年であってほしいというようなそういう、いい感じのスピーチだったと思います。来年の指揮者はリッカルド・ムーティだとのことで、なんとか生き長らえて聴きたいです。

J.S. Bach Instrumental-Werke

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バッハの器楽曲。  若い頃、バッハは苦手の代表でした。無伴奏ソナタとかが代表例。むしろブランデンブルクコンチェルトやチェンバロ(ハープシコード)のBPM(拍子)が速い曲が好きでした。 いま、がん患者になったっていうことや、高齢者になりオーディオで大音量で聴かなくなったこともありで、クラシックでいうと大編成のオーケストラより、室内楽や器楽単独の曲を好むようになりました。 それでも、バッハの器楽曲はなかなか心に入ってこなくて、どうすれば自分から聴きたい曲になるだろうかと漠然と思っていました。 バッハの器楽曲を聴くきっかけは、突然ですが、フランスの探偵もののTVドラマ「アストリッドとラファエル」でした。主人公のひとりアストリッドは自閉症ですが、バッハとパズル大好きで、論理的思考とずば抜けた記憶力で難問を解決していきますが、解決までの過程でしばしばバッハの曲が流れます。ドラマの進行とバッハの曲の流れがシンクロしていて、思考するときや学ぶときに特に優れた音楽がバッハだと気がつきました。 いま、このブログを書いている最中に、バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータをミルシテインの演奏で聴いています。BPMが60~80と脈拍に近い音楽は落ち着いて何かに集中するのに相応しいのだと思います。 昨年初頭にオーディオのスピーカーを小型化して日頃よく耳にする音楽のジャンルがかなり変わり、小編成のクラシックやジャズが相当な頻度に上がりました。こういうオーディオ環境や自分の病気がもたらした精神的な変化がバッハを身近な存在にしてくれたのかと、振り返るとそう思います。 親友とオーディオ三昧で語り合うところにあまりバッハはなかったけれど、彼のブログにはバッハも当然ながら登場しており、一緒にオーディオ談義していたときにバッハについてもっと話し合っておけばよかったかなと反省もしています。

Sweets and coffee. So sweet afternoon around 3 o'clock.

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 2024年に突入。来週には食道がん切除手術を受け、食道がなくなるので、しばらく普通の生活から離れます。怖さはまったくないと言えるほど達観はできてませんけど、ほとんど気にしていません。この道しか進むべき道がないと納得しています。 大きめでとても美味しいモンテ・ビアンコっていう洋風どら焼きを知人のイタリアンシェフご夫妻からいただきました。ありがたいです。とっておきのロイヤルコペンハーゲンのカップ&ソーサーでカプチーノ風コーヒー。いまのうちだからこその、甘く、ほろ苦いけれど、あたたかい時間を過ごしています。

January 2024

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 元旦に実家を訪問し、翌日98歳になる父に新年の祝いをのべ、お誕生祝いのお土産を渡し、おせち料理をいただきながら昔話で盛り上がり、気がつくと夕方になっていた。携帯が緊急地震警報を知らせ、現実の世界に戻され、2024年は安泰な年にはならないのではと不安を感じる。 おいとまする際に、実家では使ってないからということで2015年6月発売のSONY DSC-WX500というコンパクト・デジカメをいただいて帰ってきた。9年前ですでに1800万画素。センサーサイズは1/2.3型でフルサイズの1/10にも満たないけれど、18年前のデジカメ600万画素の3倍もあり、iPhone 11よりは画質がいいのでメモ写真としてブログに載せるには十分。まだ現役で使われている方もいらっしゃるだろうし。 よくよく考えると、フルサイズのデジカメというのは、写真のプロが使うもので、「ど」がつく素人にはオーバークオリティであるとしみじみ思う。なにをこれほどまでに大きくて、重たい機材を担いで、その性能を存分に使いこなすこともない体力減退ぎみの素人高齢者には無用の長物に思えてきた。 直接、6千万画素のフルサイズ一眼の画像と1800万画素のコンデジ画像を見比べない限り、コンデジで十分とこの高齢者は納得しつつある。さすがにボケ味のない画像はつまらないので、APS-Cサイズがちょうど大きさ、重さと高齢者が使い回す許容範囲がうまくバランスするポイントかもしれない。 いただいたコンパクトなカメラを見ながらこんなことを漠然と思い巡らしている。つべこべ言わずiPhone11より画質がいいんだから持ち歩いてその性能をフルには使えなくても効果的な使い方をしてみようではないか、と建設的に思い直しています。 今月はがんの手術も控えているし、体力も免疫力もがたっと下がることには間違いないのだから、趣味の機材は小さくて軽いに越したことはないんです。

The last day in 2023

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 今年は激震の一年だった。 1月:JBLプロ用38cm口径の大型システムに別れを告げ、FOSTEX20cm フルレンジ中心のスピーカーへ。 8月:胸の痛みを病院で検査した。食道がんと診断が下る。 10月:抗がん剤治療開始。初回退院の前日である10月15日、親友が亡くなった。 どれもこれも、想定外。心の中にだけ激震が走った、そういう一年だった。 年明け早々に食道がんの手術が控えている。手術後の様子はまったく見えないけれど、今から心配してどうなるものでもない。 いつもの大晦日のように、ただ、お酒だけはないけれど、オーディオを駆使していい音楽を鳴らし、いいと感じた瞬間に微笑んで親友に語りかけよう。この場に彼はいて、穏やな表情で観て、聴いているのは間違いないのだから。