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7月, 2024の投稿を表示しています

Otto Klemperer New Philharmonia Orchestra plays Mahler

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 マーラー存命の時代に若きクレンペラーはマーラーと対面していて、推薦状を書いてもらって指揮者になった。ワルターのマーラーとは対極の演奏がステレオ録音で残っているのは本当に素晴らしいと思っています。 マーラーの交響曲第7番。マーラー好きでも7番が特に好みだなんていう人は見たことがないですが、5番の華やかで壮大な世界ではなく、6番の古典的なスタイルの中にマーラー独自の毒を吐くっていうでもなく、7番は仄暗く、もやもや感が抜けないけどこういうマーラーの存在っておおありなんだって思います。昼よりも夜のイメージがふさわしいかもしれません。 クレンペラーの7番の演奏には度肝を抜かれます。なんといっても演奏が止まるんじゃないかっていうほど厳格に、徹底的に遅い。この演奏が発売された当時からマーラーファンからこの演奏は議論の的とされていたそうで、楽譜をルーペで拡大しながら隅々まで見て全部を厳格に音に描き出すスタイルは全く新しい印象がしたものです。これに比較するとバーンスタインの演奏はなめらかなテンポでおどろおどろしく進んでいきます。 ワルターと重なるクレンペラー指揮のマーラーの曲は第2番、第9番、大地の歌。それぞれが私には宝物です。

Gil Evans is just amazing!

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 ギル・エヴァンス。音の魔術師。カナダ生まれ。ピアニスト。編曲者。画家。 マイルス・デイヴィスとのコラボが多いけれど、映画「シエスタ」の音楽もギル・エヴァンスの助言があったと聞きます。SHM-CD版でこのCDを買い直し、まっさらな気持ちで聴いてみると、こんなに多様な音のマジックで埋め尽くされていたのかって新たにびっくりした次第です。映画のほうは知りませんがこの音楽はすばらしい。余談ですが、SHM-CDは同じCDプレーヤーからいきなりハイレゾ音が飛び出す。そんな感じがします。 このスペイン世界を聴くと、遡ってスケッチ(ズ)・オブ・スペインを聴かないとまずいって思います。こちらはハイレゾで入手しました。ジャケットにも下の方に小さくArranged and conducted by Gil Evansってちゃんと記載がありますね。 そうなると、ギル・エヴァンスってどんな音楽って下流からどんどん遡ってOut of the coolっていうギル・エヴァンス・オーケストラに辿り着くことに。 これだけじゃないけれど、聴いておきたい音楽を存分に聴いて、ぱたっとことキレたいかも。笑

MoonDial : Pat Metheny

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 あのパット・メセニーも69歳。8月で70歳になるそうな。 パット・メセニーは親友も大好きだった。私は70年代から90年代に至るまでの作品が特に好きですが、今回、この新譜を聴いて静けさの表現がみごとだなぁ、そう思いました。若い頃のパット・メセニー、技巧とメロディの新鮮さにライル・メイズのシンセが重ねる音の新しい世界はそれはそれで一生の宝物ですが、人間、日々変化しつづけないと。 変化しない(できない)人間がどの口で言う。って言う感じですけど。 食道がんを患って、とりあえず手術で除去して一難去って新しい(変化した?)自分になったと思うのは患者側の楽天的な理解。病院の立場からすると、再発してないか、転移してないか、経過観察中。8月には検査でCT、血液から体組織の状況もみる。来年1月には内視鏡検査がある。結果はどうでようが、出た時点で過去のことに。新しい検査を待つあいだが束の間の未来というか、変化の可能性を思う時間ではあります。 パリオリンピックの開会式をサイレントで観つつ。

Harlequin played by D-50 in SANTANA(E30) assembled by NISSAN

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このブログはいま、ほとんど自分の過去録として記載してますので、あの世の親友以外は知らないおはなしなのでだれも読まないと思って気ままに書いてます。笑 1983年の年末、会社の命令でNYから無理やり帰国させられ、かの5リットルV8エンジンのマスタングGTを知人に半値で売り払い、鮫洲でNYの運転免許をもとに国内の免許を取得。でも、あのがさつなアメ車を恋しく思い、国内の新しい仕事にもまったく身が入らずに失意のどん底でしたね。 で、日産自動車がドイツのVWのSANTANAをノックダウン方式で座間工場で生産するっていうニュースが飛び込んで、ほぼドイツ車の新車を半額で買えるってすごくね?ってことで、マニュアル5段ミッション、エンジンにアウディのマーク入り直列5気筒の2000ccVW SANTANAに1984年4月から乗りました。これがまた、ボディ剛性もよく、しっかりドイツテイストを滲み出していて直列5気筒エンジン独特のシャキシャキ音がたまらない心地よさでした。(エンジン音は親友もほめてましたねぇ)ただ、SANTANAのカーオーディオはラジオとカセットしか再生できず、なんとかCDを聴きたい。と思ったところでSONYからD-50っていうポータブルCDプレーヤーが発売され、さっそく導入。しかし、困ったことに道路の振動で針跳び(CDではフリーズか)を起こし再生音が止まる。なので、いろいろ対策を取ってみた結果、最終的に分厚いミニ座布団をCDプレーヤーの下に敷いてドライブに出たら音も飛ばず、快適そのもの。デイブ・グルーシン、リー・リトナーのハーレクインはドライブのお供に最適のCDのひとつでした。やりたくない、およそ面白くもない仕事への鬱憤を解消すべく週末は早朝(4時くらい)から高速を飛ばしてドライブに出掛けてました。 1987年にはマンハッタン・トランスファーが「ブラジル」っていうタイトルのCDを出してくれました。ハーレクインと重なる曲もありましたがテイストが全く違うノリを楽しむことができました。ま、1987年にはMercedes Benz 190E (4気筒2L)に乗ってましたが。ベンツ搭載のカーオーディオがこれまたしょぼくてかまぼこサウンド(ってわかるかな?)オートバックスでカーオーディオシステムをスピーカー、アンプ、CDから全部専門メーカー製で組み直しました。若気のいたりっていうやつで

200. Geburtstag Anton Bruckners (2024)

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 1824年生まれのアントン・ブルックナー。今年は生誕200年です。 ブルックナーの音楽については、学生時代に読んだ宇野功芳氏の「モーツァルトとブルックナー」に書かれた演奏論に多大の影響を受けました。実際に学生時代はハンス・クナッパーツブッシュやカール・シューリヒトといった指揮者のブルックナーを尊敬していたところもありました。ブルックナー交響曲第4番や第9番はブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団で聴き、ルドルフ・ケンペ指揮 ミュンヒェンフィルハーモニーの交響曲第5番も大のお気に入りでした。 親友との親交から何年か経過して、カラヤン指揮ウィーンフィルのブルックナー8番を初めて耳にしたときは、ブルックナー解釈の違いに大いに驚いたものでした。ベートーヴェンのごとく、ぐいぐいとフォルテッシモへ爆走していくカラヤンの演奏はこれまた聴いたことのないすごみのある演奏で、オーディオ装置がある一定のクオリティを超えていいレベルになるとこの演奏、特に第4楽章は「オハコ」的な一曲となって聴き終える。一瞬の沈黙のあと、どどっと疲れが一気に来る。そんな時間を共有していました。 いま、自宅で交響曲全集は朝比奈隆、ティーレマンがあり、ベーム(4番、8番)、ケンペ(4番、5番)、シューリヒト(3番、8番、9番)、ワルター(4番、7番、9番)を鳴らすことが多いです。といっても日頃大音量で鳴らす環境にはないので、気分が乗ったときですが。 カラヤンはちょっとノリが違う。わたし的には。親友には「ごめんね」って。笑

J.S.Bach oder Carl Philipp Emanuel Bach

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 英語の「アーカイヴ」はドイツ語で「アルヒーフ」。ドイツ・グラモフォーンの古楽レーベル、アルヒーフ。1980年代は親友と一緒にこのレーベルのトレヴァー・ピノック指揮イングリッシュコンサートの演奏もよく聴いておりました。 お父さんのバッハは間違いなく偉大な作曲家なんですが、次男坊のC.P.E.バッハのシンフォニアはもたつかなく、キレの良い、贅肉をそぎ落とした曲の流れに緊張感と清潔感が感じられ、親友も私も、お互いに好きで、これまたオーディオ比較によく登場したレコードです。 数日前、この曲の最新のカフェ・ツィマーマンという団体の演奏を見つけて聴いています。やはりシャキッとした曲調は親友好みだと感じ、大バッハよりC.P.E. バッハだよね。って。 ジャケットはYOUNG AND FOOLISH「若く愚か」 ってありますが、若気の至りっていう感じのほうがより好ましいかも。古楽器の侘び寂びがきいた音色にいまの時代のセンスをのせる。そんな感じで聴き惚れました。 知ってる曲でも演奏変われば新しさに溢れる。「そうですよね。まさに、そんな感じ。」親友がとなりで頷いているような。

BRASIL: DAVE GRUSIN & LEE RITENOUR

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 今年(2024)春、リー・リトナー&デイヴ・グルーシンが「ブラジル」っていうアルバムを文字通りブラジルで録音しリリース。しっとりとした大人のブラジル音楽で気に入りました。 このアルバムの元になっているのが1985年発売 HARLEQUINハーレクインで、これはLA録音ですがブラジル音楽をデイヴ・グルーシン&リーリトナーの2人によるプロデュース&アレンジで当時は親友と相互の装置でよく聴いておりました。新・旧それぞれ、なつかしさもあるブラジル音楽です。 1985年当時、拙宅の装置はスピーカーがESPRIT(SONY)の四角い平面振動板3ウェイAPM-4 アンプはニューヨークで購入し、持ち帰ったMcIntosh C33 & MC2255、アナログプレーヤーはサウンドハウスブランド(製造はマイクロ社)、CDプレーヤーはNECのCD803でDENONのDCD-1600Rへそろそろ交代っていう頃でした。もうすでにテクニクスのグライコは必須の存在でした。オーディオラックの右隣はうるさい割に効きの悪い空冷式エアコン! アナログ盤のいくつかはSONY PCM-F1 & SONYのβ(ベータ)ビデオでCD並みのPCMスペックで録音していました。30歳ちょっと手前っていう頃はオーディオも好きなことにのめり込み、一貫性がなく、興味があることはお金を注ぎ込んであれもこれもやってみる。そんな毎日でしたねぇ。

Fumio Hayase's audio room in 1982

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 Mark Levinson ML-6は後継機のブラックパネルよりよほど親友にぴったりのシルバーで、内部配線もシルバー。銀独特のハイエンドを代表する音色でした。 撮影に使った機材はまずフィルムがKodak Echtachrome 64でCanonのF-1とFD55mm F1.2ALにはFujichromeより相性が良かったと思っています。 テクニクスのフラット振動板スピーカーやバッフル版のはおそらくアルテック。レコードプレーヤーはマイクロかな。この画像は1年以上前にスキャンしておくべきでした。この画像だけで、1時間は彼とワイン酌み交わして会話がはずんだことはまちがいありません。後悔ばかりが残ります。カラースライドのゴミをブロワーで吹き飛ばして再スキャンしました。 最も手前の真空管アンプは私が彼の部屋に持参したLUX MQ-68CでNFBをかけることもかけない音も聴けるものでまだ当たりまえに販売されてました。

My audio room in 1981

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 親友がアドバイスしてくれたPIONEER S-955が我が家にやってきた直後、1981年5月の自室画像。カラーネガフィルムからスキャンしました。当時プレーヤーはTRIO KP-7070でしたね。英国watts社のPAROSTATIK disc preenerっていう黒い筒状で水を使う湿式のレコードクリーナーがなつかしいです。ゴミがよくとれるだけでなく、静電気も抑える。名称はよく見ると「クリーナー」ではなく「プリーナー」。身だしなみを整えるものっていう意味でしたね。 プリメインアンプはLUXのL-309Xでした。ラックスのプリメインアンプでこのデザインは好きでしたが、S-955の駆動力に限界を感じて、L-309Xのプリだけ使ってパワーアンプはmarantz Sm-9っていう150W+150Wをこのあと導入することになります。あと、夏のボーナスでMcIntosh C29っていうプリアンプも導入するっていうオタクへの道をこれから進んでいくっていう瞬間の写真です。 写っているカセットデッキはTEAC C-2X?かな。倍速で録音再生できるっていうカセットテープの規格をもろにぶち破って録音時間半分ですが、倍速の音質クオリティは最高。でも、録音時間の短さにたいするうっぷんの方が多かったので、このあとNakamichi 682ZXへ突っ走ることになります。笑 この部屋に親友は何回も聴きにきてくれました。彼がパット・メセニーを初めて聴いたときの装置がこれです。クラシックだけでなくECM Recordsを聴く機会が増えた頃です。全てが新鮮でした。

Do you need high-priced DACs?

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 最近はハイレゾ再生に小さい7万円台で購入できるifi audio xDSD Gryphonを使うようにしています。音を漠然と聴くかぎり最高級機であるPro iDSD Signatureと区別がつきません。アナログ出力回路は両方ともバランス回路ですし、ただし、音の強弱が大きい音源ではさすがに高級機は破綻なく平然と再生します。でも、xDSD Gryphonはバッテリー駆動できるのでその静けさはちょっと痺れます。xDSD GryphonだけでもまったくUSBハイレゾ再生には問題なしですね。 ただし、xDSD GryphonのS/PIDF入力ではMQAに対応していないので、MQA-CDの再生には高級機のPro iDSD Signatureが不可欠です。なので親友に聴いてもらうような覚悟っていう気合いを入れる再生時には高級機は必須ですかね。笑

Arvo Pärt : TRACTUS

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 人生のターニングポイント、つまり私の場合は昨年8月末の食道がんの宣告でしたが、その時点からしばらく経過してこころが落ち着いてから聴くようになった作曲家がいます。アルヴォ・ペルトがその1人です。 いちど、がんを宣告されると、人生の残りは思っていたものより相当に短くなると感じるのは避けられません。まだ、再発とか転移などという言葉は主治医の先生からはありませんが、この自分の遺伝子と密接に結びついて、命の裏側で遺伝子とがんの間でどのような情報伝達がはかられているのかはまったく知るよしもありません。いまは淡々と過ぎていく瞬間、瞬間に楽しみを見出す。これしかありません。今後も。 そういう自分にとってアルヴォ・ペルトのピュアな音と静寂の世界は細胞レベルに沁み込みます。音楽のジャンルを超えて、いま存在する自分の姿、かたち、こころ、それと、外の世界。それらをたっぷりと味わいなさいって語りかけてきます。 そういう音楽が、アルヴォ・ペルトだと思っています。68歳にしてすばらしい音楽に出会えることができました。

Kissin・Ozawa・Boston Symphony Orchestra

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 1993年1月のライブ録音で聴くエフゲニー・キーシンのラフマニノフ。このディスクは親友が存命の頃2015年か2016年頃に沖縄の彼の自宅へ持参して聴かせていただいたことを昨日のことのように覚えています。 ゆったりとスタートする冒頭部分はその光景を鮮明に覚えているほど。ラフマニノフのピアノ協奏曲は第2番が有名ですが、最高傑作はこの第3番だと私は思っています。いろいろな名演奏でこの曲を聴いてきましたが、キーシンのピアノには惚れ惚れします。 昨晩も自宅でキーシンを聴きました。親友宅での音のイメージから、自宅装置の設定を大幅に変更。柚香さんから今まで聴いたことがないコンサート会場が見えるようなすばらしい音!ってお褒めの言葉を頂戴しました。 設定変更は自然に手が動いたので、間違いなくすぐ隣に親友がいて、「ここはこういう設定にしません?」って語っていたようにしか思われないんです。 このディスクは沖縄の親友宅に置いて帰って来ましたので、今年タワレコから買い直しました。

A very Lyle Mays styled album by Lyle Mays.

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パット・メセニーの盟友。ライル・メイズによるとってもライル・メイズ的なアルバムです。明るすぎない、混沌とした音色に惹かれます。親友もまったくピンポイントで同じ部分を聴いていたと思っています。親友のブログにはこのアルバム写真を載せて3回記述が出ています。どれをみてもJBLか、JBL4343で聴くからこそのライル・メイズ的な説明があります。親友は心の奥底にある闇をほんの少し書いて何かを自分に納得させたかったのか、つらい事実を事実として忘れないように記録したおきたかったのかなとも思います。そこはわからないです。 私にはパット・メセニーの延長線としてのスタンスでこのライル・メイズを聴くことが多く、色彩の魔術師的な印象をいまだに持っております。 この名盤が廃盤になっていて、いま買えないことがちょっと悲しいです。

1979 was a great year for me. I even failed my university entrance exam.

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 アナログ録音の超優秀盤が生まれた頃っていうんでしょうか。 1979年は、大学受験に失敗したほどに素晴らしい一年でした。笑 このあたり以降でアナログ録音のものはECM、マンハッタン・トランスファーまで私には最高だ。っていうことになります。 このころのCDを聴き直して若い頃のオーディオを追体験して楽しんでいます。 と、書いたあとで、受験失敗は1975年だったと訂正。1979年は人生で初めてヨーロッパ旅行をして、強烈な印象を得た、そういう年でした。

Dave Grusin

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 親友と最初に出会った1981年4月。聴かせていただいたさまざまな曲の中にDave Grusin : Mountain Danseがすでにありました。曲の流れも聴いていて楽しいし、当時の録音技術の最高と言ってもいいほどの音質上のクオリティにも惚れ込みました。以降、新譜がでるたびにお互いにオーディオルームを訪問し合ったときには必ず出番があるといっても過言ではなかったのが写真に並べたアルバムです。 ある意味、新しい機材、特にスピーカーの調整には聴き馴染んだDave GrusinはBob Jamesとともに基準ディスクともいうべき存在でしたね。 6月下旬、SACDで発売された Out of Shadows は懐かしくて、ちょっとどきどきしました。笑