The moments when I realized that audio is my best hobby. It's a long story.




 闘病生活は暇。暇。暇。

こういうときに思い出して書いておきます。親友とも共有したいし。


高校時代から大学を経て、親友と出会うまで、自分のオーディオが奏でる歪みっぽい音にたいそうがっかりさせられ、私のようなクラシック好きには最悪の音だった。ふとしたことで親友をオーディオの先生として紹介していただいた。1981年4月上旬だった。ここが我がオーディオが開花するスターティングポイントである。間違いなく。

自宅に来て診断をしていただく前に親友のご自宅を訪問し、正野でございます。と、ご挨拶



。まず、彼の部屋にある機材の豊富さ。プリアンプはUESUGI U-BROS 1だったか。パワーアンプはアンプズィラだったか。レコードプレーヤーは思い出せない。スピーカーは中型のバスレフ(BESS?ブランド記憶なし)とインフィニティのRS-b小型ブックシェルフだったと思う。クラシックからジャズ、ヴォーカルなどいろいろ聴いた。自宅の音とは全く異なり、微笑みのある、しなやかで、のびやかさに満ちたそういうオーディオ装置が鳴らす音楽に聞こえた。その彼の部屋でみた。McIntosh C28 & MC2105。その美しさは未だに鮮明である。

私の自宅で音を聴いた親友は言った。まず、オーディオはスピーカーが要というか基本です。で、秋葉原で試聴しPIONEER S-955 というクラシックからジャズ、ロックまで聴けるスピーカーをも推薦してくれた。これは一大事だった。スピーカーのグレードが上がるとアンプにも手をだす。McIntosh C29が自宅に来たことがその証拠のひとつ。このS-955をニューヨーク駐在員時代にベイサイドのアパート、広い部屋でならしたのが最初の頂点だった。これは間違いない。1982〜1983頃。

帰国してCDが自室に登場して、グラフィックイコライザーを導入した1984年。グライコで最初はかなり乱れた補正だったと思うけれど、ぼんつく低音をスッキリさせたり4kHzのキンキンした音をなだらかにしたり、そんなこんなでなだらかに山登りをしていた頃もなつかしい。

1985年頃、風邪で熱出して自宅でうなされているとき、親友がQUAD のプリとパワーにRogers LS3/5Aをわざわざ持参して自宅に来てくれた。

そこで鳴らすブリティッシュ・サウンドの強烈な印象。ホグウッドのモーツァルトに両目がハートマークになった。風邪が治ると即、LS3/5Aを導入。これをMcIntoshのC33 & MC2255で結構長い間お気に入りだった。なのでこれが2番目の頂点。 おそらく将来Tannoyを聴くことになる起点だと思います。

1987年自分のオーディオが完全に入れ替わった。Accuphase プリ、パワー(A級動作)にあの、4 WayのDIATONE DS-3000が登場。もちろんグライコでの補正ありで。正直、この音には疲れに疲れた。導入してはじめてわかる相性の良し悪し。1989年に思い出したように英国Harbeth Monitor HL5を導入するもいまいちでRogers LS 5/9をショップから借りて聴いたはなしは前にも書きました。

1990年6月、10年勤めた大会社を依願退職。突然ワインの世界に足を踏み込み、春に退職金を充ててTannoy Canterbury 15を購入。搬入前にボルドーに留学したので、このTannoyは親友が私より最初から音を知っている。ちょっと、くやしいけれど、エージングは彼にしかできないと確信して依頼したら2つ返事でOKが。嬉しかった。

帰国後、最初の結婚。彼女の実家、八王子にTannoyを移し、第3のオーディオの頂点がやってきた。CDはSTUDER A730。アンプは真空管にした。AirTightのATM-1その後ATM-2も導入した。この時期のTannoyはピアノ以外は完璧で、親友にも訪問していただいたことがあると思う。最初の妻とは5年で離婚。Tannoyを自宅に引き取った。

そして外資系に勤務し、鷺沼に引っ越し。そこで、BOSE 120EそしてTannoy Sterling H/Wを鷺沼のアパートに設置。標準スタンドをつけて。

いまにしてあまり記憶が少ない。だから音のピークではなかった。1999年都心にマンション購入。Sterling H/W を移動。そして実家からCanterbury15をマンションに引き取った。これは例の会社が起こした事件までは最高の頂点だった。エンヤが、モーツァルトが、キース・ジャレットがまろやかに鳴っていた。で、2000年に勤務先の会社が絶望的な事件を6月末にしでかした。その対応で当時課長クラスだったので、責任者としてまず第一線に引き出された。それで、本人は全く気が付かなかったのだが、自宅Tannoyの音にやわらぎがなくなりげっそりした音になっていたらしい。親友が教えてくれた。翌年もまだその後遺症を引きずっていたとき、親友があるワインバーで囁いた。ね、プロ用のJBLにしてみません?

2001年3月にJBL Professionalと書かれたユニットが到着。親友が大切にしていた大型のエンクロージャーも使ってくださいって。

プロ用のJBLは効率がめちゃめちゃ良く、100dB/1kHzを軽く上回る能率の高さ。東京タワーが見える環境ではラジオやPCの雑音を拾いまくり、若い頃に聞いていた短波ラジオの雑音を巨大化したようなもので驚いた。アンプはノイズに強いものがいい。 真空管レプリカのmarantz 7, 8bそして親友から拝借していたmarantz 9 を諦め、Cayn 300Bという中国製300B真空管使用の3極真空管シングルアンプで当座をしのいだけれどなかなかいい音だった。ま、頂点に数えるほどではないにしても。JBL Pro機材を鳴らすアンプとして2005年、McIntoshが再登場。 C46, MC252その後MC402にグレードアップして使用。これもいい音だった。一つの頂点ですね。しかしことごとくパワーアンプが故障。堪忍袋の尾が切れた。

2007年、英国meridian Gシリーズにアンプをそう取り換え。シルバーでデザインは気に入った。プリ、CDプレーヤーはさらりとしたいい音だったが、いかんせんパワーアンプに難ありだった。低域の踏ん張りが効かない。ちょっといらいらしてJBLとmeridianは相当に仲悪いのではと思った。

で、しばらくJBL Professionalをお休みする時が来た。室内で使うなんてっていうElectrovoice Eliminator-iというじゃじゃ馬スピーカー。アンプは米crwon D-45で駆動。細かい部分がちょっと見えない音だがどっかーんというストレスをぶち飛ばす圧巻サウンドに痺れた。これも一つ頂点で、2013年、柚香さんと結婚に至るまで聴いていた。Electrovoiceが部屋から消えた理由は柚香さんがこんなのいや〜。その一言につきる。

リビングのど真ん中で休眠中だったJBL ですが、メインスピーカーに戻して聴いてみたら意外にも柚香さんOK、まぁ、許す。大きいけれど白いエンクロージャーの清潔感のおかげだと今でも思っている。

今年2023年当初まで使用したJBL E130(38cm口径フルレンジ)と白いエンクロージャー(実は2001年から2022年まで親友から借りていたもの)にを親友に返却し、FOSTEXの20cm フルレンジユニットを専用のエンクロージャーに装着して使用開始。しなやかな音で、最初はあのJBLが全帯域にことごとく圧倒的な音を出し、ついついボリウムを上げる感じから、日本的というか静かで清潔な印象の音に大幅にかわった。上に載せるスーパーツィーターは試行錯誤したけれど、FOSTEX T900AとJBL #2405Hを両方載せるというめちゃくちゃな用法で、帯域区分だけは分けてあとの細かいところはBehringer スピーカーマネジメントシステムをいじり回すことでいい音になった。

これが最後の頂点とは思わないけれど。闘病生活、やたら暇。



 

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