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9月, 2024の投稿を表示しています

Roppongi is a town where emptiness and reality coexist.

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 赤坂と六本木。どちらが自分向きか。六本木かなぁ。 赤坂っていうと「表」がしっかりあって、「裏」世界がある。実態がしっかりしている印象。 六本木はちょっと例外的な場所っていうイメージ。都会の田舎。表より裏。垢抜けないところがいい。麻布十番よりちょっとあぶない感じの場所っていうか。笑 Carl Zeiss Sonnar 135mm f2.8 MMJ 東京ミッドタウンわき。

Something I wrote exactly a year ago.

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 昨年の今日、こんなことをブログに書いておりました。親友もこれを引用してましたね。 基本的に1年経過して思うことはまったく同じです。なんら変わりません。ちょっとだけ死が遠くなったような気もしますが、こればかりは、さっぱりわかりません。 昨年、10月15日に親友はあの世へ旅立ちました。1981年4月の出会いから42年。オーディオという共通の小さい窓を通じて始まり、いつのまにか多方面のお付き合いになりました。あの日の前日、ふとよぎる不安から何かブログに急いで書いた記憶が残っています。 突然かかってくる親友からの電話やブログのコメントがまったくなくなった空白は時間が経てば経つほどつらいものになってきます。おなじ経験をされた先達たちが語ったこと、書いたことが重要な意味を持ちつつあります。

Carl Zeiss lenses for CONTAX RTS System in 1975.

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 リッチなカメラオタクが選ぶレンズはMTF曲線、歪曲収差や解像度などを調べて完璧なまでの性能のレンズをお財布の限度ギリギリにはたいて入手します。そしてその大金叩いた高額ズームレンズ(特に大三元っていうやつ)を誇らしげにカメラに装着して、自分でもいいんだかどうなんだか判断しかねる写真を撮りまくって満足する。(個人的感想です、あくまでも。高いレンズが買えないヒガみも入ってるかも。)自分もそうでしたから。MTF曲線をプロの解説聞きながら、まったく理解してないのに、さもわかったふりしてましたし、大きく、重いけど、明るい(F.2.8)標準ズームを見せびらかしながらしょうもない写真を撮りまくって自画自賛してました。笑 年取って重たい機材に負けて、自分の身の丈にあったもので写真撮ろう。そうなると、ズームレンズはターゲットから消えて、軽い、明るい、単焦点レンズを2本程度持ち歩く。それで十分だと悟るわけです。それも、新品ではなく程度はいいと勝手に自分で思い込む中古レンズを探し回って買い込んだものを。 いま、そういうノリで楽しい毎日を過ごしてます。1975年発売のY/C Distagon 2.8/25 T* AEG(旧西ドイツ製、一応)の安い中古(鏡筒の一部にぶつけた傷があり、フィルターつけるとギシギシするやつ。笑)を中古カメラ市でみつけました。設計が古いっていうのは個性の極みって捉えればいい。樽型の歪曲収差はあるし、解像度もいまいちだし、レンズもうっすら曇ってるようにも見えるし、周辺部は暗いって。そんなやつですが、かわいいんです。優等生ではなかった自分がカメラ機材だけ優等生使っていい写真撮れるかって、撮れません。笑 個性の極みレンズで劣等生だった自分の個性を際立たせる。これです。あの頃は高価で買えなかったけど、いまは手にして、それなりの持つたのしみと撮る楽しみを満たしてくれております。下手な試し撮りつき。笑

SONY digital camera with lenses for Canon's EF-Mount

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 一般に「純正」っていうパーツは高価で、その正当性を理解するにはちょっと価格のハードルが高い傾向にあります。デジカメのレンズでもそのまんま言えます。 ソニーが販売する「純正」E-Mountのレンズは高性能のGMシリーズやGシリーズでも高価で手が出ません。サードパーティも増えましたけど。最新レンズは軒並み高価です。 そういうときというか、貧乏な贅沢主義者はどうするか。電子接点付きの最新マウントアダプターで中古市場に出回る高性能だけど「お値段以上ニトリ!」みたいなレンズを使うことになります。探せばなんとかなる。全国から中古カメラ専門店が集まるデパートの「中古カメラ市」は全国駆け回らなくてもここを見るだけでけっこういいものが見つかる。はず。笑

The ZEISS lenses from about 40 years ago for CONTAX/Yashica cameras still give me images I like.

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 ツァイスのカメラ専門の子会社:ツァイス・イコン社がコンタックスというブランドのドイツ製のカメラは戦前(1932年)から存在し、戦後撤退。その後ヤシカ(のちに京セラ)と組んで日本で復活し、最終的には2005年に撤退するまで続きました。 言いたいのはカメラボディではなく、カール・ツァイスがこのCONTAXのために供給したY/Cマウント用のレンズ。1985年以降のMMJっていう記号が最後につくシリーズが特に好きでした。 ミラーレスデジカメラの時代になってこれら約40年前のレンズが格安で入手できるんです。とりあえず、Sonnar 135mm f2.8 MMJに手を出して半分懐かしみを感じながら。老後の楽しみとして高価な最新レンズには見向きもせず(正確には「できず」ですが)、これらの老兵的レンズを手元に置いて撮影を楽しみたいかなって思います。ILCE-7RM4AにマウントアダプターつけてSonnar135mm f2.8 MMJで試し撮り(手持ち)してみました。ボディ側の手ブレ補正使えます。最新レンズのようなキレッキレではないですが当時のレンズとしては解像度も高めですが、カリカリにならないところが自分には好ましいんです。このSonnar 135mm レンズにはレンズフードが内臓されているんですが、古いレンズのフレア対策でよりはっきり効果のある純正ハードフード(以前より所有していたもの)を装着。値段の割にプロっぽくてかっこいいかも。見かけ倒しですが。

Everybody digs Bill Evans recorded in 1958

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 このアルバムは最初はLPで、その後CDで何回もリリースされているので有名。今回、米国オリジナル・アナログ・マスターを基にした2024年リマスタリング音源192khz/24bitを採用のSACD版が発売されたのでこれを入手して聴いています。 アルバムタイトル名 Everybody digs BILL EVANS「誰もがビル・エヴァンスを敬愛してる。」1958年の録音時はビル・エヴァンス29歳! まだ29歳です。アルバムには3人の名プレイヤーからのメッセージが記載されていますが、かのマイルス・デイヴィスですら、I've sure learned a lot from Bill Evans. He plays the piano the way it should be played. と、ビル・エヴァンスからはいろいろ学んだ。彼はピアノが演奏されるべきやり方で演奏している。ってもうべた褒めですよね。 CDの少々緊張感のある音も好きですが、この自在に演奏するビル・エヴァンスのスタイルにはこの最新リマスターSACDがいいなって個人的には思っています。 親友と一緒に酒飲みながら聴きたかった。つくづく思います。

My favorite jewel-like phono cartridges in the 1970s.

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 なんだか人生の終焉に近くなって過去を振り返るような記述が多いですが。笑 1970年代初めにセパレート・ステレオ・セットなるものでLPを本格的に聴き始めました。当時のターンテーブルにはおまけ的なカートリッジしか付属しておらず、オーディオ雑誌を眺めてはカートリッジ交換から本格的オーディオをどうですか、的な記事に魅了され、カートリッジなるものをオーディオ店で購入しました。最初のカートリッジは米国ADC社の安いもので、これは音が気に入らなかったです。で、次に日本の品川無線つまり、グレースブランドのF-8Lっていうカートリッジを使ったところ、瑞々しい、爽やかな音になり同じLPレコードからこれほどグレードの異なる音が出てくるのか。と、次々にカートリッジ収集の沼にハマりました。 アメリカ製のカートリッジ(シュアー、エンパイア、ピカリング、スタントン、ADCなど)の中でピカリングとスタントンはよく使いました。B&O、オルトフォンのヨーロッパ製品から、国産ですと、フィデリティリサーチ、オーディオ・テクニカ、スペックス、テクニクス、サテン音響など、オーディオ雑誌で紹介されたものの中で気に入ったものは次々に購入しました。 最近、アナログレコードの復活が叫ばれているのは大変好ましく思います。CDが出て10年後くらいで大半のLPを売り払ったのは大失敗であった。と、いまは反省しております。

These little devils are called Mount Adapters.

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 ミラーレスデジタルカメラが持つ誘惑のひとつに、マウントアダプターという「罠」があります。ひとつ入手すると次が。こわい存在です。レンズならほぼなんでも使える誘惑への扉が突然開く、「どこでもドア」的な存在です。電気接点のないフィルムカメラ時代のレンズはフランジバック、レンズ側マウント、ボディ側マウントそれぞれの機械的精度が高いものを見つける必要がありますが、あれば向かう所敵なしです。 かつてヤシカ/京セラ・コンタックスのCarl ZEISSのRTSレンズ群を多用していましたので、これはまた準広角のディスタゴンや1:1まで寄れるマクロ・プラナーは出番があるんじゃないか。 そう悪魔が囁くこのごろです。

I had a radio for listening late-night radio program called "All Night Nippon".

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下宿生活とラジオの思い出。  1971年頃(下宿生活の高校生でした)、テレビを持ってなかったので、ナショナルブランドで発売されたRF-858 GX World Boy はFM、AMのほかSW(Short Wave:短波放送)も受信できる小型ラジオで、FMのNHK交響楽団演奏会、深夜放送やラジオドラマなどを聴くために購入。約15,000円は当時としてはけっこうな高額でした。「スリープタイマー」なる60分で電源オフになるタイマーが左横に付属していて(別付けにしなくてもいいのに)取り外しなんかしたことがないですが。他に、枕の下に敷いて深夜放送を静かに聞くピロースピーカー(なつかしい!)も使ってました。 SW(短波放送)では海外からの日本語放送を受信しました。アンテナを最大に伸ばし、垂直に立てて受信。遠いところでは英国BBC、オーストラリア(ラジオ・オーストラリア)、米国(ヴォイス・オブ・アメリカ:英語放送)、などをよく聞きました。短波は周波数に揺らぎがあり、よく聞こえたと思った瞬間にずれて聞きづらくなり、その都度、周波数ダイヤルを微妙に回して同調を取り直す必要があり、聞き取るのに苦労したことまで思い出しました。

Canon as camera and lens brand in my memory.

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大学卒業したのが1980年。4月に新卒でキヤノンに入社、いろいろあって(笑)10年後に依願退職。退職金でフランスにワイン留学しました。 もともとキヤノンは高級カメラメーカーで、「ライカに追いつけ追い越せ」が会社の目標で、会社の規模では、あっという間に達成してしまうことにはなるんですが、戦前の会社スタート時、設立者の1人が、ライカをバラバラに分解してネジの山を見て、こういう精密な部品を組み上げると家一軒分の値段がつくカメラになる。資源のない国で付加価値の高い商品をやろう。それがスタートだったと。でも、ボディは作れてもレンズはそう簡単には作れない。で、キヤノンの初期カメラにはニコンにレンズの供給をお願いして、Nikkorレンズを装着して販売したそうです。下のハンザキヤノンにはニッコールレンズが付いてます。これ、本当のはなし。 キヤノンの自社レンズは戦後スタートで、特に50mmの標準レンズは優秀な製品が多いと社内関係者からも聞きました。ライカスクリューマウントの50mm f1.8は新種ガラス採用で所収差を減らし、ライカユーザーからも好評だったと聞きます。一眼レフ時代になってFL50mm F1.8やFD50mm F1.8 S.C. があります。AFのEOS時代に入ってもEF50mm f1.8などダブルガウス型の標準レンズは健在で、2015年にはリニューアルされEF50mm f1.8 STM(いま手元にあります)が現行品ですね。 標準レンズっていうと今はズームレンズですが、40年前は一眼レフボディには明るい標準レンズ(50mm F1.4とか50mm F1.8)が当たり前でした。 単焦点の標準レンズなんて、出番ないじゃんって思うかもしれませんが、f1.8なんていう明るさとボケ味の美しさはズームレンズではまだまだ無理です。ま、安いので1本いかがっすか?ソニーα7でもマウントアダプターつければ使えますよ。

Dinu Lipatti was a Romanian pianist and composer died at the age 33.

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 若い頃に聴いていなくてとても反省の念がある知る人ぞ知るルーマニア出身の孤高のピアニスト。リパッティは血液のがんの一種で33歳という若さで1950年に亡くなっています。死の数ヶ月前にブザンソンで開かれた最期のコンサート録音(この時代はまだステレオ録音が開発される前のモノーラル)も残されていて、CDでは手元にあるのですが、最近SACD版を買い直しました。 モノーラルだとか録音が古いとかそういうオーディオ論を超越するピアノの音の純粋な凄み。これがステレオ録音だったらなんてまったく感じない、そういう演奏にのみ聴き惚れる音の連続が展開されます。 ハイレゾサイトにも少しリパッティのアルバムがあるのでダウンロードして聴きたいです。 たぶん、自分ががんにかかったからこそわかったといえる、そういう世界かもしれません。惚れました。