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Ensemble Organum

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 1990年から11年間、英国Tannoy社のCanterbury 15をメインスピーカーとして使用しておりました。その年の暮れに配達されたとき、私はすでにフランスに留学中で、親友に実家まで来てもらって、音出してもらいました。ですから、親友は実家のタンノイを私より先に聴いたことは彼もブログに書いていたとおり事実です。 クラシック、特に弦楽器の音色に痺れました。合唱や声楽にも。アンサンブル・オルガヌムの演奏によるグレゴリオ聖歌やアカペラの古楽はお涙頂戴のすばらしさでした。スピーカー口径の大きさはかなり大切な要素だと思います。Canterbury 15は文字通り15インチの口径で、中央部に広域ユニットが入ったデュアルコンセントリックという2ウェイ。同軸で低域から広域まで音楽が放射されるためでしょうか、リスニングのベストポジションを見つけるとその素晴らしい再生音に感動したものでした。 ハイレゾ配信(Qobuz)で久しぶりにダウンロードしたアンサンブル・オルガヌムの演奏聴いてタンノイを思い出しております。売ってしまったCDの中にこの演奏集団の愛聴CDが数枚あって、後悔しております。再度CD中古を探していますが、なかなか入手できませんね。 2001年に、親友が、「一生のうちで一回でいいので、JBLプロフェッショナルにしてみません?プロ用のJBLは聴いておかないと絶対に後悔しますよ。」って。それまでは正真正銘のタンノイ党だったんです。今はもう、タンノイは高値の花なので、欲しいなんてさらさら思いませんが。 40年を超える親友との付き合いは、大切な記憶の宝物として音楽を聴くたびに偲ばれます。

Upojenie (intoxication)

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 ポーランドのアンナ・マリア・ヨペック(歌手、作曲家)とパット・メセニーがコラボしたアルバムUpojenie(ウポイェニエ)陶酔。親友宅で初めて聴いた瞬間を覚えています。 昨日、NHKのあるTV番組のバック音楽にこれが出てきて、あ!聴いたことあるけど、なんだっけ?って。必死になって探しに探して、見つけました。 親友宅ではアルテックのスピーカーで聴いたと記憶しています。真正面からくる曇りのない歌声と澄み切ったギター。我が家で再生するとちょっと甘い雰囲気になりますが、JBLのツィーターがキリッと引き締めます。 これも、親友のおすすめ盤のひとつでした。最初のCichy zapada zmrok(Dusk falls quietly)がなり出した瞬間から彼のリスニングルームにワープしてしまいます。ちょっと、涙が。

To be real or to be ideal?

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 メインのフルレンジスピーカーの上にどのツィーターを乗せるか。リボン型か、ホーン型か。さらに、クロスオーバーをコンデンサー1個にするか、スピーカーマネジメントシステムで厳格に設定するか。 それだけで、1年は悩み、もだえ、楽しむことができます。それもツィーターだけで。笑 メインスピーカーの上に乗っているツィーターをFOSTEX 900AからJBL 2405Hについ先ほど置き換えました。新たに購入したCD、18世紀のフランスのヴァイオリニスト・作曲家 モンドンヴィルの「パルナス山の謝肉祭」というオペラを聴き始めました。DACの出力は真空管経由にして、倍音成分を多めにして、JBLのどちらかというとパワフルだけど無表情さにほんのり微笑みが漂うよう設定してみました。先程まで聴いていたFOSTEXの美しい理想郷的な世界はとても大切で、特にがんの後遺症で痛みや苦しみが身体に出てくるときにはとても良い癒しになります。今回、JBLに交換して感じることは、生命の活力をより強く感じるというべきでしょうか。盛り上がってくるうねり。がんに負けるな!とでも言ってくるような、若い頃に乗り回したトルクの大きいアメリカ車のV8エンジンのような。じわっとくるトルク感。これが効くんです。いろいろなことに興味を持って大地を蹴ってうごきまわれ!とでもいうように。 たぶん隣にいて聴いているはずの亡き親友も「へぇ〜、こんなに違うんですねぇ。おもしろい!」っていいそうな。 雨で気温が低い今日は、リビングルームで音楽に浸るのもいいかな。JBLってすてき!

Les tweeters à ruban sont bien adaptés à la musique de cour française.

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 親友も音だけでなく音楽の雰囲気をよく伝えるツィーターとして気に入っていたリボンツィーター。私も彼との出会いで紹介していただいた最初のパイオニア製スピーカーにはリボンツィーターが使われていました。独特のさらさらしたとだけでは説明しきれない鮮度の高い空気感を持ったリボンツィーターはホーンツィーターと並んで2人とも大のお気に入りだったかもと思い至っています。 いま、我が家のフルレンジスピーカーの上に1μFのコンデンサー1個だけで低域をカットした状態でモリエール&リュリの町人貴族をベルサイユ宮殿で録音されたフランスの演奏で聴いています。この時代背景とその雰囲気にリボンツィーターはその存在を主張しすぎることなく、エレガントに演じつくす姿を垣間見て、親友と一緒に耳を傾けている感覚に迷い込むような気分でおります。

Cela fait presque deux ans.

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 2023年10月15日。忘れもしません。闘病中の親友がこの世を去りました。あれからもう2年が過ぎようとしています。1981年4月以来、お互いの部屋を行き来しつつ語り合った日々の記憶のまま親友は私の中に存在し続けています。 今年こそは墓参りに行かなくてはと思いつつ、父の相続手続きやら、がんのリハビリやらでふと気がつくと今年はいけないなぁ。って。 猛暑の夏はいつか過ぎ、クラシック音楽を聴いている頃になりました。今後もオーディオに大きな変化はないと思っておりますが、システムの中心となるスピーカーマネジメントを左右独立させ、片方のチャンネルのみを1台に使用することで、大した金額を費やさずに大きな改善が見られたことは、今年の収穫です。 今も、イコライザーの設定を曲により変更することで、「いい方向に来てますね〜」など彼だったらなんと反応するだろうかと自問しつづけています。

October evokes lots of different memories from the past.

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 2年前の10月は大変な1ヶ月でした。まず自分ががんに罹患して抗がん剤治療が始まったこと。最初の抗がん剤点滴で入院中、親友が突然亡くなったこと。それは最初の治療を終えて退院する前日の午後でした。あまりにもあっけない親友の死。受け入れられないまま抗がん剤治療の入退院を繰り返しました。翌年、2024年1月にがんの手術。2月上旬退院。そして再発することもなく現在に至っていますが、今のところっていう途中経過のお話であります。今年は親友の墓参りに是非にでも行きたい。自分の頭の中ですら、彼の存在がどんどん薄れていくような寂しさを打ち消す意味からも是が非でも行かなくてはならないと思っています。 最近はCDをよく聴きます。親友がネット配信音源を聴くようになってからも音源としてのCDにこだわり続けたように。彼が好んだジャンルではないですが、フランスのヴェルサイユで収録したルイ王朝時代の宮廷音楽で癒される毎日です。なんというか、親友と一緒に聴いていなかった音楽は思い出す辛さも少ないからでしょうか。 最近漠然と思うオーディオの関心事は、真空管アンプの角のない、艶があって、独自の親近感を覚える理想郷的世界に自分の目の前の機材の一部を変えてみたいこと。ま、年金暮らしの身には逆立ちしてもできない芸当ではあるんですが。 また、デジカメはだんだん重量がきつく思うんですが、まだまだ体が動く限り、できれば10年程度は持ち歩いて撮影して一喜一憂していたいです。ボケなければいいんです。そこはかなり怪しいですね。