reminiscence: JBL E130 & 2405H
この22年の回顧録。
2000年6月自分に降りかかった最大のピンチが自分のオーディオをダメにした話は何回も書いた。でもいまだにあの頃の事件対応の悪夢を見る。そこから逃れることができないでいる。一生続くのかもしれない。
オーディオの要はスピーカーである。Tannoy からJBL Professionalへ。
2001年3月この新しい21世紀開始にふさわしいスピーカーが自宅にやってきたことはいいスタートをきれたという意味で忘れない出来事である。
でも、最初からこの頑固なスピーカーはまともに鳴らなかった。まず高感度が災いしてアンプが盛大にノイズを拾いスピーカーからそれを撒き散らしたのである。ノイズ対策が喫緊の課題になった。
シールドが完璧なMcIntoshを再導入したのは2005年のこと。音は生ぬるくて気に入らなかったからすぐに英国オーディオアンプに変えた。そしてそのアンプのあまりの制動が効かない緩い低音にキレた。
2007年ElectroVoiceの2ウェイでコンサート会場向けの製品を導入し我がJBLは2013年まで長い眠りについた。アンプは米国crown D-45を左右別々に2台用意した。ちょっと生クリーム感のある音だったが、積極的に前へ出てくる音に救いを求めていたのかもしれない。
2013年結婚を機に自宅リビングにふさわしくない黒いEV屋外用拡声器があるうちは引越しを拒否と柚香さんが宣言。ということでEVを即刻排除。2013年5月、みごとにJBLは復活を果たした。それから数年たたぬうちにJBL 2405Hの片方が断線。代わりにFOSTEX T900Aを導入。好みだった2405Hの鋼のようなかたさがまったくでなくなった。2017年にはスピーカーマネジメントユニットを導入し、チャネル・デバイダー、イコライザーをこれ一つでコントロールできるようになり、JBLを小音量でイコライジングできるようになり、2022年末までに至る。
2023年。今年でもう67歳になる。自分オーディオの最後は質素にしよう。年金主体の収入では民生用のデラックススピーカーなんて買えないので、箱とフルレンジユニットを秋葉原のスピーカー工作専門店を通して購入。
そして今日、2023年1月11日、お世話になった白い箱が我が家を去る。君のおかげでスピーカー操作術をだいぶ磨かせていただいた。この22年の時間は我が最高の瞬間だった。
本当にありがとう。
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